三十三間堂(蓮華王院)

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京都を巡る会・「武」

京都を巡る会・「武」

▪️豊国神社  ※【後陽成天皇】より、「豊国大明神」の神号を賜る。  ※豊臣秀吉公祀られている  ※左甚五郎の彫刻→目無しの鶴  ※ 神門の装飾や鯉の彫刻は素晴らしい。鯉の滝登り→出世という意味だろう。  ・唐門の扉下部には鯉の滝登り、いわゆる「登竜門」の彫刻が施されて、中国の故事に因んで「立身出世」を意味する。  ・【西本願寺、大徳寺、豊国神社の唐門は、国宝三唐門と名高い。(桃山時代)  ※ 江戸時代の1615年(元和元年)、大坂夏の陣にて豊臣宗家が滅亡すると、徳川家康はすぐさま秀吉の神号を廃し、豊国廟もまた破却した。  ※ 1598年(慶長3年)8月18日、伏見城にて秀吉が死去する  ※唐門から先の拝殿は、年に4回しか開かない。  ※8のつく日、骨董市、手作り市、フリマなどが開催され催事日は、賑わっております。 ▪️三十三間堂 本堂に入るとズラリと仏像が並んでいます。 全長118メートル 社殿内は、一切撮影🈲禁止などで、パンフレット冊子を載せておきます😊 誰もが、もうその数に圧倒される感じです。中央に国宝の【千手観音坐像】。そして取り囲むように左右500体づつの千手観音立像(十一面千手千眼観音菩薩)が10列の段に整然と並んでいて合計1001体。 1000体もの仏像を配置した理由ですが、三十三間堂が建立された平安時代末期は釈迦の教えが薄れ、世の中が乱れると考える仏教の教え「末法思想」が貴族の間で流行。救いを求めて競って寺院などが建てられたようです。そんな中、流行の仏教にハマっていた【後白河上皇】が「極楽浄土の主である阿弥陀如来の側近で人々を救ってくれる千手観音の像を1000体造れば、千手観音様が救いに来てくれるんじゃね? 金は清盛が出してくれるっしょ」
という理由で、作られたとのことです。 ちなみに千手観音は、1000本手があるわけではなく40本しかありません。こじつけのように1本の手が25の世界を救うとされていて40×25=1000で千手観音という計算らしいです。 #京都を巡る会 #aumo #京都 #寺社仏閣

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基本情報

三十三間堂(蓮華王院)

サンジュウサンゲンドウ(レンゲオウイン)

京都府京都市東山区三十三間堂廻町657

075-561-0467

アクセス

(1)JR京都駅から市バスで10分(100・206・208系統「博物館三十三間堂前」下車すぐ) (2)京阪七条駅から徒歩で7分 (3)JR京都駅から自転車で7分(PiPPAシェアサイクル)

営業時間

受付時間:11月16日

特徴・関連情報

備考

創建年代 :1164年

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