養源院

ヨウゲンイン

4.01
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東山区・山科区/その他

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秀吉の側室淀殿が父浅井長政の供養のため創建。その後、徳川秀忠の正室崇源院(江)により再興された徳川家の菩提所で,歴代将軍の位牌をまつる。方丈の襖と杉戸絵は俵屋宗達作、また廊下の天井は、伏見城落城の際、自刃した武将たちの血のりのしみた「血天井」として知られる。

口コミ

  • ふみ

    ふみ

    【養源院】 俵屋宗達の絵が見たくて養源院へ。中は撮影禁止でした。でも、絵葉書8枚入り300円と良心的なお値段で販売されていて、写真も綺麗な絵葉書に満足。家に飾りますっ。400年も前の絵なのに古い感じもなく、動物達の優しいお顔も好きです。 本堂の廊下の天井は全て血天井になっていました。 伏見城の戦いで豊臣方の軍勢に打ち取られ る直前に伏見城内の廊下で自刃した徳川方の兵 士らをお弔いされるもので、自刃した兵士らの 血で染まった廊下を寺の天井に上げて残されて いるそうです。血天井も少しなのかと思ってましが、 かなりのもので、衝撃でした。 #京都 #京都の観光スポット #京都観光 #血天井 #俵屋宗達 

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  • 京都を巡る会・「武」

    京都を巡る会・「武」

    ▪️養源院 ⚫︎創建は文禄3年(1594)で、豊臣秀吉の側室・【淀殿】が、父である浅井長政の菩提を弔うために建てたものです。 ⚫︎中に入ると、杉戸には俵屋宗達作の「白象図」や「唐獅子図」が見られます。 ⚫︎襖には狩野山楽が描いた「牡丹図」と俵屋宗達の「松図」があります。歴史の教科書📕や歴史の資料集などによく載っているお馴染みの写真です。 ⚫︎また、本堂の廊下は江戸初期の彫刻家・左甚五郎による「うぐいす張り」(知恩院、二条城もうぐいす張り)と伝わり、その天井は、関ヶ原の合戦の前哨戦「伏見城の戦い」で大敗した時の武将鳥居元忠とその他の武将の「血天井」が有名です。 ⚫︎上杉討伐のために徳川家康が不在となると、西軍の石田三成などが挙兵。4万の大軍で、伏見城から退去しない徳川方の守備隊1800を攻撃し、戦闘は約10日間続き、籠城方の妻子を捕縛して内応を強要してようやく落城したと伝えられる。その際、鳥居元忠率いる以下の将兵約360名は、落城の際に自刃する。血の付いた床を剥がして、天井に祀られています。天井に祀る事で、再び人の足🦶で踏まれる事が無いように弔われてます。 ⚫︎鳥居元忠は、姉川の戦いで先陣を切った戦国武将で知られています。 ⚫︎「織田信長」・「徳川家康」の連合軍と、「浅井長政」・「朝倉義景」の連合軍による合戦のことです。この戦いは、天下統一を目論む織田信長と同盟を結んでいたはずの浅井長政との確執が原因されました。この結果、織田勢が勝利し、浅井氏・朝倉氏の両家が滅亡するきっかけとなりました。 ⚫︎血天井が見られる主なお寺3ヶ所の寺院
①宝泉院②源光庵③養源院が有名です。 ⚫︎養源院さんは、法住寺と隣接してますので、すぐに目に👀つきます😁 #京都を巡る会 #aumo #京都 #寺社仏閣

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  • Danjou

    Danjou

    戦国武将、浅井長政の菩提寺卍 豊臣秀吉公の側室、淀殿が建立。養源院は、浅井長政公の戒名。淀殿の妹は、徳川秀忠公の正室。そして、淀殿の母は織田信長公の妹、お市の方。と、言うことで、「織田家」「豊臣家」「徳川家」全てに関わりがあり、その上琳派の俵屋宗達の「白象」「麒麟」「唐獅子」もある。伏見城の戦いで自刃した鳥居元忠(と思われる)他およそ300名の血の跡の廊下を天井にして供養されている。血天井。 #京都#血天井#伏見城#鳥居元忠#織田信長#徳川家康#徳川秀忠#豊臣秀吉#浅井長政#お市の方#淀殿#お江#初#養源院#俵屋宗達#白象#麒麟#唐獅子#琳派おでかけ#タカちゃんの日常#今ちゃん

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基本情報

養源院

ヨウゲンイン

京都府京都市東山区三十三間廻町656

075-561-3887

特徴・関連情報

備考

創建年代 :1594年

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