要害城跡

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永正16年(1519)に居館を石和から躑躅ケ崎の地に移した武田信虎は、翌年、詰の城として館の北方の丸山に要害山城を築いた。平時の生活と政務は館でとり、一朝事あるときは要害山城へ篭もるという戦闘用の城であった。大永元年(1521)9月、駿河の今川の将、福島正成が一万五千の兵を率いて甲斐へ侵入、油川氏の居城だった勝山城を襲撃し、ここを根城に国内を暴れ回った。背水の陣をしく信虎方は死にもの狂いで戦い、かろうじて今川勢を押し返した。このとき、信虎の妻大井夫人は出産をまぢかに控えており、戦の難をさけて要害山城に入った。戦乱のさなから誕生した戦の申し子が、後の武田信玄である。山頂の本丸跡には、「武田信玄公誕生の地」と刻む石碑が建つ。実戦を知らない山城は、武田氏滅亡後の今も山城の遺構をとどめている。要害山は国指定史跡。

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「要害城跡」へのレビュー

fumi

fumi

2023/04/30

aumo

青春18きっぷのぶらり旅。 甲府駅からバスに乗り武田神社へ。 武田神社は武田信玄公を御祭神としてお祀りしている神社。 信玄公は我が国戦国時代きっての名将で、大永元年(1521年)当神社の背後に控える石水寺要害城で誕生し、天正元年4月12日に上洛の夢半ばに信州駒場で53歳の生涯を終えますが、21歳の時に国主となって以来30年余、諸戦に連戦連勝を重ねるのみならず、 領国の経営に心血を注ぐ中、特に治水工事、農業・商業の隆興に力を入れ、領民にも深く愛されました。 因みに私も誕生日を迎え54歳。信玄公を超える年齢になりました。 ニッポン城めぐりでは家臣の一人に信玄公を入れる事も出来ました(笑)。 #山梨県 #甲府市 #JR甲府駅 #武田神社 #武田信玄公 #石水寺要害城 #躑躅ヶ崎館 #リア攻め #青春18きっぷのぶらり旅 #ニッポン城めぐり

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「要害城跡」の基本情報

名称

要害城跡

カテゴリー

その他・その他

住所

山梨県甲府市上積翠寺町

アクセス

(1)甲府駅からバスで15分(上積翠寺バス停から徒歩10分で登山道入口です。)

駐車場

備考

時代 :1519

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