小夜の中山

4.00
静岡 > 浜松・掛川・磐田

本サービス内ではアフィリエイト広告を利用しています

夜泣石は掛川市日坂にあり、昔妊婦がこの小夜の中山で盗賊に殺され、傍に生まれ落ちて泣く嬰児と共にこの石も泣いたという。この伝説にちなんで売られる「子育飴」は全国的に有名である。

「小夜の中山」への投稿写真

「小夜の中山」へのレビュー

kazu

kazu

2018/10/22

aumo

小夜の中山峠は、旧東海道の金谷宿と日坂宿の間にあり、急峻な坂のつづく難所である。曲亭馬琴の『石言遺響』(文化2年)(1805年)によれば、その昔、お石という身重の女が小夜の中山に住んでいた。ある日お石がふもとの菊川の里(現・静岡県菊川市菊川)で仕事をして帰る途中、中山の丸石の松の根元で陣痛に見舞われ苦しんでいた。そこを通りがかった轟業右衛門という男がしばらく介抱していたのだが、お石が金を持っていることを知ると斬り殺して金を奪い逃げ去った。 その時お石の傷口から子供が生まれた。そばにあった丸石にお石の霊が乗り移って夜毎に泣いたため、里の者はその石を『夜泣き石』と呼んでおそれた。生まれた子は夜泣き石のおかげで近くにある久延寺の和尚に発見され、音八と名付けられて飴で育てられた。音八は成長すると、大和の国の刀研師の弟子となり、すぐに評判の刀研師となった。 そんなある日、音八は客の持ってきた刀を見て「いい刀だが、刃こぼれしているのが実に残念だ」というと、客は「去る十数年前、小夜の中山の丸石の附近で妊婦を切り捨てた時に石にあたったのだ」と言ったため、音八はこの客が母の仇と知り、名乗りをあげて恨みをはらしたということである。 その後、この話を聞き同情した弘法大師が、石に仏号をきざんでいったという。 なお、ほぼ同様な伝説は安永2年(1773年)刊行の随筆「煙霞綺談」(遠州の人・西村白鳥 著)にも記載されている[1]。

新型コロナウイルスの影響により、最新の情報ではない可能性もあります。お出かけ前に最新の公式情報を、必ずご確認下さい。

「小夜の中山」の基本情報

名称

小夜の中山

カテゴリー

その他・その他

住所

静岡県掛川市日坂

アクセス

(1)掛川駅からバスで20分 徒歩で90分

駐車場

「小夜の中山」周辺のレジャー・観光スポット

もっと見る

「小夜の中山」周辺のお店・レストラン

もっと見る

「小夜の中山」周辺のチラシ・ショッピング施設

この施設のオーナー様はこちら

おでかけメディア「aumo」を運営するアウモ株式会社では、施設のおすすめポイントやメニューなどを魅力的に紹介する施設ページの開設ならびに記事執筆を行なっております。 また、SNS運用のサポートも行なっておりますので、WebやSNSでの集客に関するお悩みなど、お気軽にご相談くださいませ。詳しくはこちら