瀧廉太郎銅像

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大分・竹田・臼杵/その他名所

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瀧廉太郎(たきれんたろう)は、12歳から14歳までを竹田で過ごし、その後、東京音楽学校に進み卒業後作曲活動に打ち込みました。「荒城の月」の作曲は、岡城跡で遊んだ頃のイメージが生かされているといわれ、岡城はこの名曲によって今でも多くの人々に親しまれています。 この銅像は、廉太郎と同窓で4歳年下の朝倉文夫(あさくらふみお)の作品で、廉太郎の没後50年経過した昭和25年の作品です。初めは廉太郎のイメージが湧きにくかったと裏面に説明されています。また、同じ銅像が東京上野公園、大分市、瀧家ゆかりの地・日出町にもあります。

基本情報

瀧廉太郎銅像

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大分県竹田市竹田岡城・二の丸跡

0974-63-4818

アクセス

(1)JR豊肥本線 豊後竹田駅から5分( 緒方・三重方面行 「岡城入口」下車)

営業時間

見学時間:09:00~17:00 ※12月31日~1月3日は休城日

特徴・関連情報

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