智積院
東山/その他神社・神宮・寺院
【智積院青葉まつり】智積院にam9時30分に到着〜13時まで青葉まつりを楽しみました。御朱印めぐりを終えたらいただける「お札」を入れる袋を販売されてたのたで購入。福引券もいただきました。福引はパワーストーン1粒でした。涙。大事にします。青葉まつりとは、真言宗の宗祖・弘法大師空海と中興の祖・興教大師覚鑁のご誕生をお祝いする行事。弘法大師のご生誕は宝亀5年(774年)6月15日。興教大師のご生誕は嘉保2年(1095年)6月17日。六月が緑の美しい季節ですので、このお祝いを「青葉まつり」と称しているそうです。【両祖大師誕生慶祝法要】お練り行列両祖大師誕生慶祝法要慶祝法要終了後引き続き、柴燈大護摩供法要【催し物】名勝庭園・国宝障壁画・講堂襖絵等の無料拝観講堂胎蔵の間でのお茶席まんだら市(フリーマーケット)諸堂めぐり(ご朱印集め)金堂・明王殿・講堂・大師堂・密厳堂の5ヵ所にて実施
【京都・智積院】・京都東山七条にある「智積院」の紫陽花の時期を迎えております。・智積院では、2012年(平成24年)頃に金堂裏に整備されたの「あじさい苑」などに西洋紫陽花・額紫陽花などが植えられ、赤・青・紫色の紫陽花が咲き誇ります。・智積院の境内はとても広く、中心的な建物である金堂(こんどう)は宗祖である弘法大師(空海)生誕1200年を記念して昭和50年に再建されております。📕・院内のほとんどが西洋紫陽花で、額紫陽花は僅かしかなく、希少価値があります。🤗・智積院紫陽花の見ごろは、例年6月上旬頃から7月上旬頃で、ただ紫陽花見ごろはその年の気候などによって多少前後することがありますので、ご注意願います。🤲・智積院の紫陽花の見頃を迎えるのは、6月中旬。大きな金堂の裏手に「あじさい園」があり、園内を散策できるようになっております。😄・また、金堂から大師堂へと向かう途中にも静かに紫陽花が咲いており、この「あじさい園」は、有料区域ではないので自由に見学できますよ。🤗・他にも、例年だいたい同時期には、三室戸寺、善峯寺、岩船寺、祇園白川、三千院、藤森神社、伏見疏水の紫陽花も見頃となっているので、合わせて歴訪して下さいね🤗 [アクセス] ☀︎場所:京都府京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964☀︎境内は自由に見学できます。😄☀︎名勝庭園と収蔵庫の拝観:9:00~16:00☀︎拝観料:大人500円/中高生300円 ☀︎最寄り駅(バス停):東山七条バス停下車、徒歩約1分🚶♀️☀︎阪急「河原町」から市バス207系統に乗車し、「東山七条」バス停下車、拝観入口までは徒歩1分🚶♀️☀︎京阪電車「東山七条」下車、徒歩10分🚶♀️
御寺泉涌寺
東山/その他
京都泉涌寺楊貴妃観音堂絶世の美女楊貴妃が祀られています。京都のなかでも、美人と縁結びに縁があると言われ、女性に大人気❣️私もつい〝美人祈願〟の小札守りを買ってしまった(≧∀≦)他にも縁結・良縁・開運・安産・心願成就・交通安全などもありました!
【京都・泉涌寺】★泉涌寺献菊展(けんかてん)・こちらの寺院は、皇室とゆかりが深い泉涌寺で、皇室の紋に菊花が用いられていることから、境内で菊花展が2024年10月12日(土)~11月19日(火)まで開かれております。😊拝観料500円・この日に備えて丁寧に愛好家が育ててきた大菊、小菊、懸崖、盆栽などさまざまな菊が、境内に設けられた花壇に百数十鉢も展示され、迫力満点の見映えとなっております。・大小さまざまな華やかな大輪の菊や低く垂れ下がるように作った美しい菊が見られ、また、境内の一角には、楊貴妃観音堂があり、美人祈願・良縁成就を願う女性が多く訪れられます。[交通:アクセス]アクセス路線は、次の通りです。 *京都駅から泉涌寺は208系統(D2乗り場) *四条河原町からは207系統 *四条烏丸からは207系統 *河原町丸太町202系統※最寄りのバス停は、泉涌寺道バス停が一番最短距離となります。ゆっくり徒歩10分🚶♀️*JR奈良線の場合、最寄り駅は東福寺駅(徒歩約15分)🚶 *京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は東福寺駅(徒歩約15分)🚶♂️
新日吉神宮
東山/その他
【京都・新日吉神宮】⛩️・昨日、06/07の午後に訪問した所は、京都の東山七条の東方向のなだらかな坂道を登り切った所に鎮座されている「新日吉神宮(いまひえじんぐう)」があり、こちらは、後白河天皇が院の御所「法住寺殿(ほうじゅうじどの)」の鎮守社として比叡山の守護神・日吉社を勧請した神社だそうです。😊・日中は、少し日差しもあり、眩しい新緑の神社内の青葉は、見事でした。😃 ・境内には、鬼門除け・災難除けなど、さまざまな御利益が信仰されており、「日吉の神」の使徒のお猿さん「真猿(まさる)」も魔除けの御利益として有名です。・もともと日吉社(ひえしゃ)は、崇神天皇7年に創祀された比叡山の神をお祀りする古社で、延暦7年(788年)には、最澄が比叡山延暦寺を建立した際に、日吉社を守護神として崇敬した事に由来しております。 ・さらに、延暦13年(794年)の平安京遷都により、日吉社は京の鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの社として国からも崇敬されるようになり、この地を歴訪される方々も多くおられます。・また、境内には、後白河天皇ゆかりの「飛梅天満宮」と、豊臣秀吉ゆかりの「樹下社(このもとのやしろ)」があり、こちらもまた有名なので是非ご覧になってみてくださいね。😃・飛梅天満宮は、永暦元年(1160年)後白河天皇により祀られ、御祭神は、菅原道真と道真遺愛の飛梅之霊で、「飛梅之霊」とは、菅原道真公が、大宰府に左遷される時、別れを惜しんだ旧宅の梅の霊を表しております。・樹下社(豊国神社)は、江戸時代の慶長20年(1615年)徳川幕府によって豊臣秀吉を祀る豊国社が廃絶・破却された際、ご神体は新日吉社神殿に密かに移設されたと言われております。📕 ・その後、天明5年(1785年)境内社「樹下社(このもとのやしろ)」を造営し、「樹下」の神(玉依姫神)の神名に、豊臣秀吉の元の姓「木下」を重ねてカムフラージュし、徳川幕府の監視の目をくぐってきたとも言われております。・帰りに、有難い御朱印も頂くことができました。🙏[アクセス]☀︎市バス🚌202、206、207、208系統、東山七条バス停🚏下車、東へ徒歩10分🚶♀️☀︎京阪電車🚃七条駅下車、ゆっくり東へ徒歩15分🚶
新日吉神宮は京阪七条駅から東に歩いて20分とホームページにありますが夏はタクシー🚕がオススメです😅三十三間堂から東に坂道を上ると真言宗智山派総本山・智積院に突き当たります。このお寺の左側にある女坂と言う坂を東へ登ると京都女子高校の正門前に鳥居が⛩見えます👀永暦元年(1160年)後白河法皇が御所法隆寺内に比叡山坂本の日吉山王七社(日吉大社)を勧請したことが始まりだそうです。主祭神は日吉山王七神(山王権現山)・後白河天皇である。本殿の両脇にある神猿像🐒夜になると出かけはるという噂が!?お母さんが子供の頃の遊び場であんまり行かないように…(悪戯するからだと思います)おばあちゃんが話してたそうですwでもそんな、言い伝え本当にあるみたいです🐵
新熊野神社
東山/その他
京都東山区にある、新熊野神社で、熊野とは、黄泉の国と通じていると信じられてきた聖地・熊野。「クマ」とは、「神」や「隅」を表し、「神々のおわす奥まった地」という意味であり新熊野神社の境内に、樹齢約900年という大きなクスノキがあります。※京都三熊野神社<熊野権現>・新熊野神社・熊野神社(左京区)・熊野若王子(左京区)哲学の道🔹熊野詣(くまのもうで)とは、紀伊半島南部、熊野にある、本宮(ほんぐう)・新宮(しんぐう)・那智(なち)の熊野三山を参詣することです。🔹熊野に入れば、再び心をよみがえらすことができる、「人生の出発の地」とも呼ばれています。御祭神は家津美御子大神(スサノオノミコト)。健康や商売、念願成就、開運招福のご利益があるとされています。・新熊野と書いて「いまくまの」と読みます。新熊野神社は、平安時代の末期、後白河上皇の御所・法住寺殿の中に、【平清盛】が造営した神社です。・清盛は熊野権現を篤く信仰していました。清盛がまだ【安芸守】「あきのかみ」簡単にいっちゃえば「広島県知事」であったとき、舟を使って熊野へ参詣した際に、大きな鱸(すずき)が舟の中に飛び込んできました。・鱸は出世魚で、これは「熊野権現」のおぼしめしだと修験者が食べることを勧めるので、【精進潔斎】「しょうじんけっさい」精進とは仏道修行に励むことを意味し、潔斎は飲酒や肉食を制限して仏事に挑むことを意味します。をしていた身ではあったものの、清盛が自ら調理をして食べたといわれています。・その後の清盛の出世は目覚ましく、ついに最高位の太政大臣にまで昇りつめていきました。(1167年)・八咫烏の神=神の使いのカラス🐦⬛が祀られて、勝負、厄除け、縁結び、出世の神が宿る神社です。
JR東福寺駅近辺にある「しんくまの」じゃなくて「いまくまの」神社。現在の能、狂言、歌舞伎の大元となる熊野猿楽が始まった場所。それを作ったのが写真にいる、観阿弥・世阿弥父子。足利義光がそれを今の能にしたそうで。