佐野常民記念館

サノジョウミンキネンカン

4.00
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佐賀・鳥栖/その他

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佐野常民の偉業や人道、博愛精神を学んでいく人材育成の拠点施設

口コミ

  • カイマナヒラ

    カイマナヒラ

    幕末から明治にかけ 佐賀には多くの偉人が活躍しましたが、その中の一人が 佐野常民さんです😊 彼はここ早津江に誕生し 後に藩医の養子になったので 最初は医学の勉強をしていました 上方で蘭学や医学等勉学に勤しみ 帰藩後佐賀藩精錬方で技術者の統括し、蒸気機関の研究や凌風丸建造に力を入れました。 その後パリ博、ウイーン博等で日本経済を後押ししました。 西南戦争の負傷兵を敵味方なく救済する事の大切さを唱え、そう言う組織を作りたいと政府に上申するも、敵の負傷兵もという彼の思いを知り却下されます。 が、 有栖川宮熾仁親王に直接嘆願し 設立されたのが、後の日本赤十字社の前身の博愛社です。 常民は日本赤十字社の初代社長に就任し赤十字の普及に尽力したのですね😊 1枚目 日本初造船     凌風丸 3枚目 杏葉紋は鍋島藩の紋です     合図の旗   下左半分が赤色の時     藩主が乗っています    左半分 青      乗っていません 6.7.8枚目 佐野常民自筆襖 9.10枚目 日本赤十字社      社員名 佐野常民記念館の3階には 日赤の休憩所があり 日赤のボランティアさんが 美味しいお茶を出してくださり お喋りも👍😊 又常連さんもお喋りに見えてましたよ😊👍 ここには1階からエレベーターで 直接行けて無料です😊👍 三重津海軍所跡と佐野常民と どんな関係かしら?と思ったけれど 早津江出身で海軍所にも関わった人だったからなのかな~と 納得でした~😊👍

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  • カイマナヒラ

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    日本の近代造船の礎になった 三重津海軍所 幕末の頃、欧米列強がアジアへの侵攻を強める中、長崎は日本の貿易の窓口でした。 その長崎の警備の任にあたっていたのが佐賀藩😊 そんな中佐賀藩は欧米列強の軍事力に強い危機感を抱き、海防の強化を図ったのが鍋島直正 彼は西洋の技術を導入する為 洋書を取り寄せその技術を学ばせました。 大砲の鋳造を成功させたり 蒸気機関の研究にも力を入れさせました 日本で初めて作られた反射炉は 佐賀藩でしたよ。 韮山とか萩の反射炉は知っていたけど、佐賀にも反射炉があった事を知りました😊 幕府が大砲を作ってくれと頼んだ先は 佐賀藩だったのですね。 このように佐賀藩の軍事に関する熱心さを幕府は認めていたのですね😊 三重津海軍所では その西洋の知識を取り入れ日本の技術で造船したのです。 なぜ早津江川なのか? それは 有明海の干満の差を利用して造船したり補修したりできるからでした。 しかし、いつも満潮ではないため、 日本初の造船の凌風丸を作りました。それは塩が引いた時も動かせる蒸気外輪船😊  そして長崎を守り日本を守る事に力を入れたのです。 そして育った人たちは西欧に学びに出かけ、日本の近代化の礎を作りました。 ここから日本の近代化が始まった という事がよく分かりました 佐賀においでの折には 是非三重津海軍所跡の 佐野常民記念館へいらして下さいね😊 続きます😊

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  • カイマナヒラ

    カイマナヒラ

    世界遺産登録になった 三重津海軍所跡に建てられた 佐野常民記念館を訪れました😊 有明海に注ぐ早津江川の河口に 江戸時代から明治にかけて 日本の近代化を進める為に 長崎を守る為 造船や補修等を洋書を頼りに 作られた三重津海軍所 ここから日本の近代化が 始まったと言っても過言では ないと言う展示物を見てきました😊 佐野常民は日本赤十字社の親 でもあります😊 建物外壁には 赤十字のようなタイルが😊 すぐ近くを大牟田へ続く湾岸道路にかかるオシャレな橋が 見えます😊

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基本情報

佐野常民記念館

サノジョウミンキネンカン

佐賀県佐賀市川副町早津江津446-1中川副公民館

0952-34-9455

アクセス

(1)佐賀駅からバスで40分 徒歩で6分

営業時間

開館時間:09:00~17:00 (最終入館16:30) 休館日:月 (月曜日が休日の場合は、翌平日) 休館日:12月29日~1月3日 年末年始

特徴・関連情報

備考

管理者 :川副町

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