吉野ヶ里歴史公園
みやき・神崎・吉野ヶ里/その他
吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)およそ117ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落(環壕集落)息子が連休とれたので九州を旅してます私も行ってみたかった場所です物見やぐら、竪穴住居、高床倉庫等が復元され、弥生時代の雰囲気を十二分に体験できる空間となっているそうです
R5.3月20日吉野ヶ里遺跡北墳丘墓に移動🚶吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別なお墓と考えられて。外観が復元され、墳丘墓の内部では14基の本物の甕棺や出土品レプリカの展示、北墳丘墓の解説展示をしてました。埋葬🪦された甕棺宇宙船からの脱出ポットみたいです😮帰り道に吉野ヶ里遺跡展示室寄りました銅剣鏡銅鐸他にも在来系弥生人渡来系弥生人の特徴の展示とても勉強になりました😌わたくしの顔どちらかといったら濃い目の在来系です〜😆そろそろ博多まで行きますか。
九年庵
みやき・神崎・吉野ヶ里/歴史的建造物
佐賀で行きたかった場所、九年庵です♡̖́-春と秋の2回一般公開されます。ちなみに今年の秋の一般公開は11月15日から23日の9日間。紅葉が綺麗な場所ということで行きたい場所の1つでした!ただ紅葉に関しては色づき始めという感じで……昨日あたりから寒くなったので、後半は色づきも進むかもです🍁元々は佐賀の大実業家、伊丹弥太郎(いたみやたろう)の別邸らしく、明治33年から、浄土真宗の僧・阿(ほとり)和尚の指導により、9年の歳月をかけて築かれたことからこの名前になったそうです。数寄屋造り(すきやづくり)の邸宅と筑紫平野を借景にした庭園には、ツツジやモミジなどが植栽され、自生の木立や一面に生えたスギゴケがあり落ち着いた雰囲気でした(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”
邸宅の造りについて少し明治時代の硝子窓やアジロ編みの腰板アジロ編みの天井など当時の贅を尽くした野趣溢れる物が見られましたよ🤓邸宅の周りには全て真竹の濡れ縁(写真忘れ🙏)がありその濡れ縁には全てガラス入りの障子が立てられそして全ての障子の腰板はアジロ編みと雨戸もなく雨が降ったら〜それらの物が痛むだろうにと心配したのは、庶民だから?😅このガラスは昔はとても貴重な珍しいもので手作りなのでガラスが波打っていますまた居室の天井には茶室に良く造られるアジロ編みが施されていました😊四国の臥龍山荘でも昔の富豪の贅を尽くすけれども質素に見える贅の尽くし方が見られましたが、ここでも同じように感じられたような気がしましたが、、、🤔下手な紹介で申し訳ない気持ちで一杯ですが、悪しからず〜お許しを〜🙏😅又秋の公開があるかも知れませんので関心をお持ちになられた方はいらしてくださいね~🤗色々と悩み多き九年庵ですがヨロシクね~🤗観光大使でもないけどわが町のご紹介をさせていただきました😅
仁比山神社(山王さん)
みやき・神崎・吉野ヶ里/その他
仁比山神社から帰るとき横に細い道が見え、竹がそらたかく伸びていました。気にかけたこともなかった道嵐山の竹林をちょっと思い出し歩いて見ました🤓あれ??筍発見‼️最近皆さんの筍の話アップされているのを見かけるので、親近感を〜🤗結構大きい法かな~🤓実は私筍は食べても実際土から出てきている姿を見たことが無かったのです😅ちょっとええもの見つけた感で嬉しかったですね🤓
松尾宮の横に水鏡があったので、井戸の中を覗いてみる、躰がきれいに映れば壮健で、反対だと健康に注意だそう😅普通に映ったので安心。仁比山.山王の森の山頂展望所の立札をみつけたので、登ってみることに。遊歩道はあるのだけれど、登山する人があまりいないのか木々が倒れてたり少し険しい。標高220m。山頂展望所の立札あるのでここが山頂らしいけど、樹々に覆われ何もみえなかったです😭
仁比山地蔵院
みやき・神崎・吉野ヶ里/その他
こちらにも立ち寄りました(*^^*)仁比山神社の下?奥の方のほうでしょうか?そこにあります。ちなみに現在千手観音様が御開帳されており、御朱印も限定のものを頂けましたよ😊たくさんのお地蔵様がおられました。かつて仁比山には三十六坊と号される寺院群があって、仁比山護国寺(にいやまごこくじ、またはにひざんごこくじ)と総称し、明治以前まで山王日吉宮(現・仁比山神社)の神宮寺で地蔵院は、三十六坊のひとつであり、かつ同坊の不動院(ふどういん)の子院でしたが、現在は唯一残り諸仏像を継承しておられるそうですよ
一年に一度のご開帳秘仏千手千眼観世音菩薩。イベントが開かれており、龍奏舞ライブペイントが見れました。コロナ禍ではありましたが、感染防止策を工夫しながらの開催でした。
櫛田宮
みやき・神崎・吉野ヶ里/その他
皆さん三鈷の松ってご存知ですか?詳しくは分かりませんが、弘法大師空海が唐で学び日本へ戻るとき、この教えを広めようと決意するも、その場所が分からず悩み手に持っていた三鈷杵(さんこしょ)を日本へ向け投げたそうです。年月を経て探し見つけたその三鈷杵は高野山の松の木にぶら下がっていたとのことで、その松を三鈷の松と呼ぶようになったとか。で、空海は高野山に密教道場を開き日本にその教えを広めたそうです。その三鈷の松は一般的な松と違うところがあります。普通松葉は2つか、5つに分かれているそうですが、三鈷の松の松葉は3つに分かれています。そして、その松ぼっくりには棘が生えていて持つと痛いのです。1枚目松ぼっくりの先っぽが三角に折れていますよね。その先に棘が付いています。空海の願いを叶えためでたい三鈷杵のとまった松も同様に目出度いと言うことで、この松ぼっくりや松葉を見つけると良いことが訪れるとか🤗お櫛田さんで以前見つけ今も飾っていますが、又見つけたのでご紹介しました~😅どんないいことが訪れるのやら楽しみ〜です🤗
こちら、佐賀県神埼市にある“櫛田神社”、節分祭のお多福でございます。博多の祇園山笠で有名な“櫛田神社”、通称“お櫛田さん”の元宮と言われており、創建から2000年近い歴史を持つ国内有数の神社です⛩✨