金石城跡

カネイシシロアト

4.00
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五島・壱岐・対馬/その他

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宗氏が館を桟原に移すまで,この地を本城とした。享禄元年(1528),それまでの池ノ館が兵火で炎上したので,盛賢が築いたものだ。21代の義真が寛文9年に櫓を築いてから,金石城と呼ぶようになった。金石川に沿った城壁と大手門付近の石垣に,対馬流の石垣技術が偲ばれ,現在櫓門が再建されている。国の史跡。◎宗義智(1568-1615)江戸初期の対馬国の領主。義調の養子。対馬守。秀吉の頃より朝鮮との外交にあたり,江戸時代には,幕府と朝鮮との条約締結に尽力した。◎雨森芳洲(1668-1755)対馬藩の儒者。近江(滋賀県)伊香郡生まれ。著者『治要管見』で朝鮮修交の重要性と人材養成を説き,王号問題で同門の新井白石を論難した。著述は40書。

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基本情報

金石城跡

カネイシシロアト

長崎県対馬市厳原町今屋敷

0920-53-6111

アクセス

(1)厳原港から徒歩で15分 (2)対馬空港から車で20分

特徴・関連情報

備考

時代 :豊臣時代・桃山時代

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