県北西部の長野県境近く、草津町と嬬恋つまごい村の境にある。現在活動中の白根山(二一三八メートル)と活動時期の古い休火山本白根もとしらね山(二一六四・八メートル)とが、北と南に二つの頂上をもって連なる。東山麓に草津温泉、西中腹に万座まんざ温泉(嬬恋村)、北に信州志賀しが高原があり、上信越高原国立公園の中核部に位置する。日光白根と区別し草津白根山ともよばれる。白根山頂中央にエメラルドグリーンの水をたたえる湯釜ゆがま、その東に水釜みずがま、西に涸釜からかまとよぶ火口がある。本白根山頂の鏡かがみ池では珍しい環状構造土がみられる。多くの観光客を集める湯釜は活発な活動を繰返し、pH〇・八六という世界一の強酸性湖である。古くから良質な硫黄を産することで知られ、山頂をはじめ山麓に多くの硫黄鉱山があった。草津入口の白根神社は古くは本白根(古白根)山を真西に仰ぐ地にあり、山頂の奥宮(本宮)に対する里宮(拝殿)であったと考えられる。旧鎮座地には修験者の祈祷壇とされる四角の土壇があり、本白根山中腹の富貴原ふきはら池で山頂の霊域に向かって登る修験者が禊・祓を行い、身体の穢を除き山頂の霊場に入ったとされる。やがて白根山噴火とともに修行・信仰の中心が本白根から白根山へ移り、白根登山途次の武具脱もののぐ池で禊・祓を行い清めたと考えられる。総社本「上野国神名帳」に従一位白根明神とともに載る従二位小白根明神とは「古白根」の意ともいわれる。「国志」には「本白根山今白根の東南にあり、白根明神鎮座」とみえる。文明一八年(一四八六)草津を訪れた常光院尭恵の「北国紀行」にみえる「鎮守の明神」は、白根明神とも考えられる。なお、天正一五年(一五八七)草津で入湯した近衛龍山(前久)が「里はまた紅葉の秋を時しらぬ白根に今朝は雪そ降りける」と詠んだと伝わるが、滞在期間との関係から疑義もある。永禄七年(一五六四)の年始に際し湯本善太夫が武田信玄に白根硫黄五箱を送り(加沢記)、「於本領草津谷取来候通、羽尾領内立石・長野等(原カ)」一七〇貫を安堵されている(二月一七日「武田信玄判物写」同書所収)。また天和元年(一六八一)の郷村品々記録(小林文書)にも以前は運上一〇両ほどを納めたとあるように、古くからの硫黄産地であった。