月山富田城跡

4.01
島根 > 松江・安来周辺

富田の地を最初に城地としたのは平景清という。尼子氏が守護代としてこの地を領して以来,勢力を拡大した。経久のとき、守護代の地位を一時追われたが、経久は奇襲によって城を奪い返し、以来、戦国大名として一代の間に飛躍的に版図を拡大した。尼子氏滅亡後は毛利氏の有に帰したが,関ケ原合戦後,堀尾氏入封によって、富田城は廃城となった。平成5年より整備に着手し通路や石垣及び建物等を復原している。◎尼子経久(1458-1541)出雲国守護代清定の子。戦国大名。一時富田城を追われたが劇的な奇襲戦で奪回。因幡以西の山陰諸国を攻略。山陽にも入って11州の大守と呼ばれ尼子家の全盛期をつくる。◎山中鹿介(1546-1578))広瀬町生れ。落日の尼子家家臣として富田落城にあう。諸国を巡り、尼子再興に執念を燃やし不屈の挑戦。望みを達せず34歳で命を終えた悲運の武将。

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「月山富田城跡」へのレビュー

okgift

okgift

2020/03/25

aumo

島根県安来市、日本100名城の月山富田城。尼子氏の本拠地であった難攻不落の山城は、桜の名所となっています。 上へと登っていくと、毛利元就に滅ぼされた尼子家の再興に生涯を捧げた山中鹿介の像があります。 鹿介は、その苦境の中に「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と月に祈ったそうです。 私の座右の銘!と言えればカッコいいですが、私には間違っても言えない台詞すぎてあまりにも印象深いです。 天然の要害となった城跡という緑豊かなロケーションの中、真摯に祈る鹿介の姿に想いを馳せることができるスポットです。 #おでかけ #春 #島根 #城

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hazuki525

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「月山富田城跡」の基本情報

名称

月山富田城跡

カテゴリー

その他・その他

住所

島根県安来市広瀬町富田

アクセス

(1)安来駅からバスで25分 徒歩で30分

駐車場

電話番号

0854-32-2767

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