野口雨情生家

ノグチアメジョウセイカ

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北茨城・奥久慈周辺/その他

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雨情は明治15年(1882年)磯原町の野口量平の長男として生まれ、本名を英吉といった。磯原尋常小学校(現在の精華小学校)を卒業すると、政治家の叔父野口勝一氏のもとから東京専門学校(現在の早稲田大学)に学んだ。明治37年頃、作詩生活に入り、最初の詩集「枯草」を出版した。大正10年頃になると、北原白秋、西条八十とならんで三大童謡詩人とうたわれ、昭和20年、64歳でなくなるまで、全国各地を旅し、多くの民謡集や童謡集をつくり、現在でもたくさんの人々に親しまれている。雨情の生家は廻船問屋で、明治15年当時、観栄丸と観音丸の運搬船を所有していた。昭和42年3月30日、茨城県の文化財に指定された。

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口コミ

  • DJゴン太

    DJゴン太

    #おでかけ 何と案内人が孫さんで、感情込めて説明して頂きました、話も分かりやすく、知らない身内の話まで出て貴重なためになる体験しました。百円は安い。北原白秋、西条八十と並ぶ三大童謡詩人といわれ「七つの子」「しゃぼん玉」などの童謡や、「磯原節」「磯原小唄」といった新民謡でも知られる野口雨情。 磯原の海を望むように建つ雨情の生家は「観海亭」と呼ばれ、今でも多くの人が訪れています。 外出自粛中にて数年前画像

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基本情報

野口雨情生家

ノグチアメジョウセイカ

茨城県北茨城市磯原町磯原73

0293-42-1891

アクセス

(1)【車】常磐自動車道 北茨城ICから10分  (2)【電車】JR常磐線「磯原駅」より車で5分、徒歩15分

駐車場

無料駐車場有り

営業時間

公開:9:00~16:00 無休

特徴・関連情報

備考

文化財:都道府県指定重要文化財

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