三木露風の墓

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詩人・三木露風は、昭和3(1928)年に牟礼の地に移り住んだ。転居当時は桑畑や雑木林が広がる閑静な地であった。ここに建てた家は「遠霞荘」(えんかそう)と名付けられた。この家は老朽化したために建替られているが、庭に残る樹木の一部は今も当時の面影を残している。晩年、三鷹の地でひそかに詩を書きつづけた露風は、三鷹市制5周年をたたえ、昭和31(1956)年元旦に「新年の詩」を贈り、また、昭和39(1964)年には高山小学校校歌を作詞している。作曲は露風自らの考えで近衛秀麿に依頼し、同氏の指揮により披露された。墓所は、牟礼にある大盛寺墓地内にある。また、平成21(2009)年、三鷹台団地に「あかとんぼ児童遊園」が作られた。入り口には赤とんぼの歌碑が置かれている。

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「三木露風の墓」の基本情報

名称

三木露風の墓

カテゴリー

その他・その他

住所

東京都三鷹市牟礼2-14-16大盛寺別院墓地内

アクセス

(1)JR三鷹からバスで36分 三鷹台団地から徒歩で3分([シティバス 三鷹台駅行き]) (2)JR吉祥寺駅からバスで15分 三鷹台団地から徒歩で3分([吉12 北野行き])

駐車場

備考

文化財:市区町村指定史跡

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