太宰治の墓

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太宰治は、明治42(1909)年、青森県北津軽郡金木村(現・金木町)に、県内屈指の大地主の子として生まれる。東京帝国大学仏文科在学中、井伏鱒二に出会い、師事する。昭和14(1939)年1月井伏夫婦の媒酌で結婚。同年9月に甲府から三鷹の下連雀に転居する。以後、終戦前後の一時期を除き、亡くなるまで三鷹で過ごす。三鷹時代に「走れメロス」「人間失格」「斜陽」など多くの名作が書かれた。昭和23(1948)年6月13日の深更、玉川上水に入水。19日に遺体が発見された。昭和24(1949)年6月の一周忌に太宰の墓が、森鷗外の墓の斜め前に建てられた。昭和19(1944)年に発表された「花吹雪」に「この寺の裏には、森鷗外の墓がある。(中略)ここの墓地は清廉で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかもしれない」という一文があり、その意が汲まれたもの。墓碑には、太宰自筆の文字が拡大して刻まれてる。なお、平成10年、隣に美知子夫人が葬られた津島家の墓が建立された。死の直前に発表された「桜桃」に因み、毎年6月19日に太宰を偲ぶ桜桃忌が催される。

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「太宰治の墓」の基本情報

名称

太宰治の墓

カテゴリー

その他・その他

住所

東京都三鷹市下連雀4-18-20禅林寺

アクセス

(1)三鷹駅からバスで5分 八幡前から徒歩で3分([鷹51 国際基督教大学・調布駅北口・武蔵小金井駅行き、鷹52 朝日町・朝日町3丁目・車返団地行き、鷹54 仙川・晃華学園東行き、鷹65 深大寺行き])

駐車場

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