幕末から明治にかけ佐賀には多くの偉人が活躍しましたが、その中の一人が佐野常民さんです😊彼はここ早津江に誕生し後に藩医の養子になったので最初は医学の勉強をしていました上方で蘭学や医学等勉学に勤しみ帰藩後佐賀藩精錬方で技術者の統括し、蒸気機関の研究や凌風丸建造に力を入れました。その後パリ博、ウイーン博等で日本経済を後押ししました。西南戦争の負傷兵を敵味方なく救済する事の大切さを唱え、そう言う組織を作りたいと政府に上申するも、敵の負傷兵もという彼の思いを知り却下されます。が、有栖川宮熾仁親王に直接嘆願し設立されたのが、後の日本赤十字社の前身の博愛社です。常民は日本赤十字社の初代社長に就任し赤十字の普及に尽力したのですね😊1枚目日本初造船凌風丸3枚目杏葉紋は鍋島藩の紋です合図の旗下左半分が赤色の時藩主が乗っています左半分青乗っていません6.7.8枚目佐野常民自筆襖9.10枚目日本赤十字社社員名佐野常民記念館の3階には日赤の休憩所があり日赤のボランティアさんが美味しいお茶を出してくださりお喋りも👍😊又常連さんもお喋りに見えてましたよ😊👍ここには1階からエレベーターで直接行けて無料です😊👍三重津海軍所跡と佐野常民とどんな関係かしら?と思ったけれど早津江出身で海軍所にも関わった人だったからなのかな~と納得でした~😊👍