空の公園
佐伯市/公園・庭園
大分県佐伯市空の公園2021年10月31日撮影天気は曇ってましたが…久しぶりに空の公園へドライブ地元の子どもたちが書いた風鈴チリンチリンと…癒されました♪次はまた天気のいい日にこよう
昨日は、スッキリとした秋晴れでした🍁*午前中から、エステ→まつ毛パーマ(ꇐ₃ꇐ)と美容𝔻𝕒𝕪でした✨お天気も良かったので、少し足を延ばして空の公園まで行って来ました🤗途中までは、毎日の通勤と同じ道のりです。*今年、地元の中学生が植えたコキアも赤くなってましたょー👍今日は、とても風が強かったけど海とコキア・風鈴の音色に癒されました🎐*春には芝桜、初夏には紫陽花が咲き、アサギマダラ🦋も見れます。*暖かいからですかね…芝桜がチラホラ咲いてましたよん🌸(笑)𝔻𝕒𝕪_de_antos
高塚愛宕地蔵尊
日田市/その他
今日から大分県別府まで二泊三日旅行。行き掛けの駄賃で高塚地蔵にて参拝。私はまたしても中吉😄妻は大吉😂今年も妻に着いて生きよう(笑)
・大分県日田市天ヶ瀬にある【高塚愛宕地蔵尊】へ・ちょうど七夕の日、日田市天ヶ瀬にある【高塚愛宕地蔵尊】さんへ行ってきました。ここのお地蔵さんの数はなんと約2000体。諸事祈願成就に大変ご利益があるとして、全国から色んなお願い事、悩みを抱えた人たちが訪れ、沢山の参拝の人々が訪れている高塚さん。この時期は七夕飾りと風鈴の展示がされていて、私も短冊に願い事を書き、笹に吊るしてきました。この日はかなり暑かったですが、涼し気な風鈴の音色と綺麗な紫陽花の花手水に癒されて帰りました。・・
旧豊後森機関庫転車台
九重・玖珠/その他
九州各地にあった扇形機関庫は、機関庫廃止や老朽化などにより解体され、現在では九州唯一の扇形機関庫。また、70年以上にわたりこの地域に建ち続けている玖珠町のシンボルです。展示しています蒸気機関車29612号は、「キューロク」という愛称で親しまれ、大正8年(1919年)に製造された蒸気機関車です。この蒸気機関車は、大正8年(1919年)1月から昭和49年(1974年)12月までの55年間、長崎本線や唐津線で旅客、貨物の輸送に日夜活躍し、なかでも昭和20年(1945年)8月9日、長崎に原子爆弾が投下された時期には、多くの人、被災された方々を乗せて走り、人命救助や日本の文化の交流、経済の発展に多大な貢献そして、列車の動力近代化に伴って、昭和49年(1974年)に廃車となり、福岡県志免町の公園にて静態保存されてきましたが、製造されてから94年目になった平成25年(2013年)12月、老朽化による解体処分が公表されたことから、「もうすぐ製造から100年となる蒸気機関車を救って欲しい」との多くの方々からの救済の声が玖珠町に届き始め、志免町様との協議の結果、玖珠町が譲渡を受け、福岡県直方市の汽車倶楽部(代表江口一紀氏)の方々に補修をお願いして、この豊後森機関庫公園に平成27年(2015年)6月に静態保存することとなりました。志免町にあった機関車をまたみることができます。
2009年(平成21年)2月6日に機関庫及び転車台が「旧豊後森機関区の関連遺産」として近代化産業遺産に認定され、2012年(平成24年)8月13日に機関庫及び転車台がそれぞれ「旧豊後森機関庫」及び「旧豊後森機関庫転車台」として国の登録有形文化財に登録された。展示しています蒸気機関車29612号は、「キューロク」という愛称で親しまれ、大正8年(1919年)に製造された蒸気機関車です。
七ツ森古墳群
竹田市/その他
・大分県竹田市にある【七ツ森古墳群】・時期は過ぎてましたが近くまで来たので寄ってきました。・七ツ森古墳群は国の史跡に指定されており、古墳よりも秋に咲く彼岸花の名所として知られています。映画のロケ地としても使われたことがあるそうです。9月中旬から9月下旬頃、絨毯のように20万本の彼岸花が咲き乱れます。・*国道57号線沿い*豊後竹田駅より車で15分駐車場:あり・
七ツ森古墳周辺に咲く彼岸花が有名ということでドライブしてきました。約20万本といわれており、2反(600坪)ほどの広さに咲いています。この彼岸花は、昭和29年頃より荒れた七ツ森古墳の敷地内を地元の方々が整備し始めたのが始まりで、野生の彼岸花が徐々に広がっていったそうです。端の辺りは手を入れた箇所もありますが、群生している所は野生の彼岸花です。場所は、道の駅すごうから1km程の国道57号線沿いで分かりやすいです。大林宣彦監督の映画「22才の別れ」での回想シーンに彼岸花が登場し、ますます有名になったそうです。
中津城(奥平家歴史資料館)
中津市/城郭
中津城に行ってみました。黒いお城でカッコいい。展示品は甲冑が多かったイメージ。今は徳川家の特別展示でレプリカですが毛皮でできた甲冑や黄金の甲冑が展示されてました。天守5階まで階段で上がり中津市内を一望!風も吹いてて気持ち良かった。名物目薬のお茶をお土産に購入しました。2019年10月6日
中津城を散策全体的に黒い感じは松本城ににている。周防灘(豊前海)に臨む中津川(山国川の派川)河口の地に築城された梯郭式の平城である。堀には海水が引き込まれているため、水城(海城)ともされ、今治城・高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられている。本丸を中心として、北に二の丸、南に三ノ丸があり、全体ではほぼ直角三角形をなしていたため扇形に例えて「扇城(せんじょう)」とも呼ばれていた。NHKのドラマにもなった黒田官兵衛により、九州平定後の天正15年(1587)から中津城を築城し初代中津城主となりました。天正17年(1589)には家督を子供の長政に譲り、「如水軒」と号したことから、「如水」の名でも広く知られています。また、「ドン・シメオン」という洗礼名を持つキリシタン大名でもありました。