薩摩迫館跡

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島津家4代忠宗の6男資忠が、観応2年(1351)の合戦の功によって文和元年(1352)に足利将軍家から島津荘日向方北郷の地300町を賜り、この地を領有するようになった。その時資忠は北郷薩摩迫(現山田町)に移住して北郷氏を名乗るようになったという。また、北郷5代持久が寛正6年(1465)に高城からここに移ったとも伝わる。平成5年に行われた発掘調査により、中世の掘立柱建物跡の柱穴や溝状遺構が見つかり、14世紀後半から15世紀初めの中国(明)の青磁や、15世紀中頃の備前焼の擂鉢などが出土している。

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「薩摩迫館跡」の基本情報

名称

薩摩迫館跡

カテゴリー

その他・その他

住所

宮崎県都城市山田町中霧島

駐車場

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