清州城

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犬山・瀬戸・愛知郡/その他

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平成元年に再建。清洲城の歴史:築城者・創築年とも不明。一説に尾張守護斯波義重が応永年中(1394~1427)に築いたという。のち守護代織田氏の大和守家の居城となる。弘治元年(1555)那古野城主織田信長が大和守信友を討って入城、永禄10年(1567)岐阜城に移るまで本拠とした。天正10年(1582)本能寺の変後は織田信雄、豊臣秀次、福島正則、松平忠吉、徳川義直が城主となった。慶長15年(1610)名古屋築城によって廃城。現在、三層四階の天主閣や信長塀、日本庭園などが復元されている。◎斯波義重(1371-1418)足利義満の猶子となり、1405年に管領となる。浅倉氏、尾田氏、二宮氏、甲斐氏ら重臣を配し領国を固めようとしたが、足利義持の勘気に触れて、高野山に追放された。◎織田信長(1534-1582)尾張に生まれ、永禄10年(1567)美濃国を手に入れ井の口を岐阜と改称した。天正10年(1582)本能寺の変にて自害した。◎織田信雄(1558-1630)織田信長の二男。1582年本能寺の変後、清洲城主となる。茶・和歌・舞・音楽などに巧みな風流人として知られている。◎福島正則(1561-1624)尾張国海東郡に生まれ、豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いなどに活躍。関ヶ原の戦い後、広島城主となるが、のちに所領を没収され、不遇の晩年をすごした。◎松平忠吉(1580-1607)徳川家慶の四男、遠江国生まれ。関ヶ原の戦い後、清洲城主となる。尾張藩祖となるはずであったが、若死し、後嗣がなく断絶した。◎徳川義直(1601-1650)徳川家康の九男。兄義吉の死去により清洲藩主(後に尾張藩主へ)、家康の遺訓を守り藩政を固め、学問を奨励し、藩風の基礎を作った。わが国で初の聖堂を建て、その廟所も儒教式である。

口コミ

  • ひびき

    ひびき

    桜が咲いてるかなと清洲城へ🏯まだ早かったみたい^^; 所々咲いてたけど満開まではもぉ少しかかるね💦🌸 今日の昼間はめっちゃ暑かった😖散歩して疲れたからコーヒー飲んでいっぷく😊 これだけ暑くなるとは思わなかったわ😐気温差ありすぎー 令和5年3月22日 #春のお出かけ

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  • ひびき

    ひびき

    昨日は名古屋市内は久しぶりの積雪10センチ近く積もりました❄ 午後から晴れたので夜 清洲城のプロジェクションマッピンクを見に🏯 1時間4回5分の上映。。 お城に四季を表す絵が出てきてとても綺麗でした。 イルミネーションも綺麗だけどお城に絵と音楽を表現するのって美しいなあと感じました🤗 お城の周りは雪がとけてなくて もぉ固まって氷🧊写真撮るために動くとすべりそうになりながらの鑑賞 写真撮るって感じ😆 夜はかなり冷え込んで寒かった❄❄😨 #クリスマスのおでかけ 令和4年12月24日

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  • ply

    ply

    先日から清洲城ではライトアップに加えてプロジェクトマッピングがはじまってのぞいてみた。 普段それほど大きなお城ではないけど こうして夜ライトアップされると 光の中に浮かび上がるお城はミステリアス ここには表示されないけれど プロジェクトマッピングは美しい。

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基本情報

清州城

愛知県清須市朝日城屋敷1-1

052-409-7330

アクセス

(1)新清洲駅から徒歩で15分 (2)清洲駅から徒歩で15分 (3)名古屋第二環状自動車道清洲東ICから車で5分(清洲城駐車場 清洲公園大駐車場) (4)名古屋高速6号線清須ICから車で5分(清洲城駐車場 清洲公園大駐車場)

営業時間

公開:9:00~16:30 休業:月 休業:12月29日~12月31日

特徴・関連情報

公式サイト
http://kiyosujyo.com/
備考

築城年代1 :室町時代

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