徳川家ゆかりの伝通院には千姫のお墓と他に沢山のお墓がありました当時ののままのまるで遺跡みたいな感じで圧倒されました🤩千姫は、徳川二代将軍秀忠の長女。母は、お市の方の三女・崇源院。豊臣秀頼に嫁ぐが、1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で豊臣が敗れると徳川家康の命によ大坂城から救出された。その後、姫路城主本多忠政の嫡男忠刻と再婚するが、忠刻の死により江戸へ帰り天樹院と号した。1666年(寛文6年)2月6日死去。1枚目は徳川家康の母の墓1602年(慶長7年)、徳川家康の生母・於大の方が京都の伏見城で死去すると、遺骸は遺言によって江戸に運ばれ、智香寺で火葬されたのだという。翌年、家康は遺骨を小石川の地に埋葬。寿経寺を移転し、於大の方の法号にちなんで院号を伝通院としたのだという。あまり歴史に詳しくないのでネットより引用😅😆