高瀬舟、山椒大夫、舞姫等の作品で有名な森鴎外は津和野に産まれました😊父親が医師でその長男の彼は幼い頃から母親の熱心な教育を受け小学校入学前から名を馳せていたほどの秀才だったそうです。小学校を卒業するや、父親と二人東京に住んでいた親戚の西周を頼って上京します😊東大医学部入学後最年少で医師の資格を取得彼は日本一の医者になる事が夢でしたが、その夢叶わずドイツへ留学帰国後軍の医師になりそのトップにまで登りつめますが、医学と軍の間に違和感を覚えるようになり、文学の方へ舵をきっていくようになります。最初の結婚で長男於菟が産まれますが、離婚。於菟は母親を知らずに成長する事になります。再婚でできた子どもさんたちも大変優秀な方ばかり。医者や文学者が殆どなようですね館内は撮影禁止でしたので、あやふやな記憶で申し訳ありませんが、津和野1の秀才森林太郎は東京へ出てからは津和野の土を踏む事はなかったそうです。でも、病魔に侵された体でも自分は石見人の森林太郎としての生涯を終えたいとの思いを口語筆記してもらっていました。石見の森林太郎医師でありながら文学者でも、その前に森林太郎でいたかったんですね😊重い言葉だなと思いました😊この記念館の横に林太郎が生まれ育った家が残されていました。