懐古園
小諸・東御/その他
長野県小諸市『懐古園』第2弾✨🏯小諸城の起こりは1487年に信濃守護小笠原氏の流れを組む大井光忠が、現在の追手門北側に築いた鍋蓋城であるといわれているようです(パンフレットより)敷地内には島崎藤村記念館(画像あり)がありましたが夕方に着いたのでここは諦めましたでも緑の多い懐古園は歩いてるだけで気持ちがよく、この日は平日だったのでゆったり見られました画像1枚目は【三の門】でここは1742年の大洪水で流失して1765年に再建されたものです上の【懐古園】の文字は徳川家達の筆だそうで国指定需要文化財です(パンフレットより)静かに城壁なども見られて歩いていて気持ちが良かったです😁#日本さくら名所100選
小諸市の懐古園は春は桜でも綺麗ですが、紅葉の時期はまた格別です。今回は行くのが遅かったので人力車には会うことが出来なかったのが残念です。
小諸城址懐古園展望台
小諸・東御/その他
【小諸の懐古園】平成最後のお花見は、桜の名所小諸懐古園。少しだけ歴史に想いを馳せてみました(^^)
小諸城では大手門、三の門、天守台、石垣が現存しており、大手門と三の門は国の重要文化財にしていされています。築城者は武田信玄で、もともとあった鍋蓋城と乙女城を大井氏から領有した後、拡大させて現存する城郭を完成させました。その後は仙石氏が引き続き、徳川氏→松平氏→青山氏→酒井氏→西尾氏→石川氏→牧野氏と城主は変遷していきました。城の西側には千曲川が流れており、東から西むかって侵食された地形をにあるため城下町よりも本丸のほうが低い土地にあります。城「下」町なのに、城より高い位置にある訳です。そのため、小諸城は「穴城」とも呼ばています。小諸城・懐古苑に寄って来ました。紅葉が見頃で人手が多く、その中で石垣や谷、堀などを紅葉と共に楽しみました。記憶していたよりも地形を生かした造りで、石垣が見事でした。本丸は北側からは高低差がありませんが、南側は石垣で高くなっています。間にある谷も深く、縄張り間の移動を困難にしています。石垣は浅間山の溶岩石を活かしたものや反りが入ったものなど、要所要所で使われています。高低差と縄張りで通路も複雑に折れており、堅固な城だったことが想像されます。