長篠城址

チョウシノジョウシ

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田原・豊橋・新城/その他

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長篠の戦で名高い長篠城は、宇連川と寒峡川が合流して豊川となる地点にあり、三方が崖という地形を巧みに利用して築かれた。1575(天正3)年、武田の大軍を迎えて、城主・奥平信昌以下500の城兵がこの城を守って奮戦、設楽原での織田・徳川連合軍勝利のきっかけをつくった。現在は本丸・野牛郭・弾正郭・帯郭・巴城郭の跡が残り、帯郭跡には長篠の戦の資料や遺品を展示した史跡保存館が建っている。また、周辺には鳥居強右衛門の磔死の碑、馬場信房をはじめ武田方武将の墓など、合戦にまつわる史跡が点在する。

口コミ

  • Howl Mon

    Howl Mon

    2023.12.18 設楽原歴史資料館から長篠城址へ 2枚目は 徳川家康の長女で奥平信昌に嫁いだ 亀姫屋敷の門 こんなものが残っているんですね… ここでは最後2枚の どうする家康で観るまで知らなかった 貼り付けにされた鳥居強右衛門のことが知りたくて! 残念ながら強右衛門の資料は撮影禁止でしたが… 長篠城から 援軍を頼みに 豊川を泳いで岡崎城まで また泳いで長篠城へ 援軍は来ないと知らせよという武田軍を裏切り 磔にされたと言う逸話… とても感動しました! どうする家康を見るまで知らなかったけれど 豊川在住の娘婿曰く 愛知県民なら誰でも知ってる!とのこと! 学校で習うらしい… #長篠城址

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基本情報

長篠城址

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愛知県新城市長篠字市場22-1

0536-32-0162

アクセス

(1)長篠城駅から徒歩で(豊川IC/車/35分/国道151号線沿い)

営業時間

公開:24時間見学自由

特徴・関連情報

備考

文化財:国指定史跡 時代 :1508年~1576年

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