松倉城跡

マツクラシロアト

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黒部・魚津周辺・下新川/その他

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鎌倉末期の創建と伝えるが、南北朝のころは、諸将が入り乱れてこの城を占め、争乱が鎮まると、城主椎名氏が守護代となる。上杉方の攻撃が激しく、元亀2年(1571)には、椎名康胤が敗走。上杉方は老将河田豊前、次いで須田満親らを置くも、天正10年(1582)佐々氏の有となり、同15年以後は、前田氏が領有した。

口コミ

  • DJゴン太

    DJゴン太

    #おでかけ 鎌倉末期の創建と伝えるが、南北朝のころは、諸将が入り乱れてこの城を占め、争乱が鎮まると、城主椎名氏が守護代となる。上杉方の攻撃が激しく、元亀2年(1571)には、椎名康胤が敗走。上杉方は老将河田豊前、次いで須田満親らを置くも、天正10年(1582)佐々氏の有となり、同15年以後は、前田氏が領有した。 魚津市の松倉山山頂にある城跡です。戦国時代は幾度となくこの城の攻防戦が行われたところです。 空堀がいくつも見られ、かなり大規模な山城だったのもよくわかります。外出自粛中にて数年前画像

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  • DJゴン太

    DJゴン太

    #おでかけ 越中最大規模を誇り、難攻不落の城として知られていた「松倉城」の跡地。魚津市南部の松倉山山頂にあり、空堀で区切られた5つの郭が南北に並び、長さが1kmにも及ぶ巨大な城郭でした。室町から江戸時代にかけては背後の松倉金山で金の採掘が盛んに行われ、その経済力で中世には勢力を誇っていたそうです。多くの武将がこの城を巡って戦い、戦国末期まで新川郡の要としての役割を果たしていました。上杉家に実権がうつり織田信長に攻められた魚津城に拠点がうつってからは政治的、軍事的役割が低下し衰退していきました。現在では県定公園に指定され、ヤマザクラの名所として人々に親しまれています。外出自粛中にて数年前画像

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基本情報

松倉城跡

マツクラシロアト

富山県魚津市鹿熊

0765-23-1045

アクセス

(1)あいの風とやま鉄道魚津駅から車で30分 (2)魚津ICから車で20分

特徴・関連情報

備考

文化財:県・史跡 時代 :鎌倉

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