秋元神社⛩群馬県は館林市には色々な観光名所が有ります👍🤩💨これは「旧秋元別邸」の奥に有ります🤫🔴関東へと転封された秋元家は、徳川家康に仕えることとなり、関ヶ原の戦いにおいて功績を残します。その功績とは、「上杉景勝」(うえすぎかげかつ)に投降(とうこう:降参すること)を促したこと。これにより、上野国総社藩(こうずけのくにそうじゃはん:現在の群馬県前橋市)に1万石の領地を加増されました。また、徳川家康が亡くなった際に棺を担いだことからも、深い関係性がうかがえます。そののち、甲斐国谷村藩(かいのくにやむらはん:現在の山梨県)、武蔵国川越藩(むさしのくにかわごえはん:現在の埼玉県川越市)と転封したのち、1767年(明和4年)に出羽国山形藩(でわのくにやまがたはん:現在の山形県山形市)の藩主となりました。この山形藩は、幕府の重職から失脚した者の左遷(させん:それまでより低い地位に落とすこと)場所となっており、12家にも亘って藩主が入れ替わっているのです。今はつつじが岡公園の”第二公園”になっているようですが、江戸時代の舘林城の城主であった秋元氏が弘化2年(1845年)に山形から来封し、礼朝(ともひろ)、興朝(おきとも)、春朝(はるとも)、順朝(なおとも)と続くのだそうです。この旧秋元別邸は明治末期に建てられ、秋元興朝とその子、春朝が別邸として使用していたとのことです。この別邸内に春朝が網を投げている像が立っているのですが、この春朝は元来、自然をこよなく愛した粋人で、村人からも親しまれた好人物であったようです。この旧秋元別邸は江戸時代には舘林城の「八幡廓」があったところだったと書かれていました。