原城(長崎県南島原市)です。別名「日暮城」と呼ばれた城があった跡。これも潜伏キリシタン関連12遺産のひとつです。ここはもう、何にもないです。こういう、美術品も建築物もない所をユネスコが着目してるのが最近の流れのようです!精神的な遺産を大事にする流れはいいと思う!なんで、ここが潜伏キリシタンの遺産かというと、この乱が、潜伏の始まりだったからですね。幕末以前では最後の内戦だった跡です。有馬氏の城だったのが別の城を造ってここは廃城に。しかし1637年、ここ廃城に一揆が籠城して始まったのが一揆。反乱軍の内訳は収奪に対抗した反乱だったという説とかあるけど、宗教色が強かったのは確かで、この反乱のあと、懲りた幕府は、廃城を徹底して壊すという政策になりました。ここもほぼ壊されて廃虚すらわずかです。各地の乱に関わったキリシタンは厳罰に処されて、生き残りの者は散り散りに隠れるようになったわけです。ここには、西有家町の民家の石垣に埋もれていた天草四郎の墓石が移されています。※アクセスは諫早駅から車で1時間半くらい