島原の乱供養碑(鈴木重成建立供養碑)

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長崎 > 雲仙・島原

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島原天草の乱後10年目、時の代官鈴木重成が珪文に請い禅僧100余人を集めて慰霊の読誦を行い土地を清め、碑文を建てた。

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「島原の乱供養碑(鈴木重成建立供養碑)」へのレビュー

ざんぎ

ざんぎ

2020/04/21

aumo

原城(長崎県南島原市)です。 別名「日暮城」と呼ばれた城があった跡。 これも潜伏キリシタン関連12遺産のひとつです。 ここはもう、何にもないです。 こういう、美術品も建築物もない所を ユネスコが着目してるのが最近の流れのようです! 精神的な遺産を大事にする流れはいいと思う! なんで、ここが潜伏キリシタンの遺産かというと、 この乱が、潜伏の始まりだったからですね。 幕末以前では最後の内戦だった跡です。 有馬氏の城だったのが別の城を造ってここは廃城に。 しかし1637年、ここ廃城に一揆が籠城して始まったのが一揆。 反乱軍の内訳は収奪に対抗した反乱だったという説とかあるけど、宗教色が強かったのは確かで、 この反乱のあと、懲りた幕府は、 廃城を徹底して壊すという政策になりました。 ここもほぼ壊されて廃虚すらわずかです。 各地の乱に関わったキリシタンは厳罰に処されて、生き残りの者は散り散りに隠れるようになったわけです。 ここには、西有家町の民家の石垣に埋もれていた天草四郎の墓石が移されています。 ※アクセスは諫早駅から車で1時間半くらい #おでかけ

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「島原の乱供養碑(鈴木重成建立供養碑)」の基本情報

名称

島原の乱供養碑(鈴木重成建立供養碑)

カテゴリー

その他・その他

住所

長崎県南島原市南有馬町大江名八幡神社境内

アクセス

(1)島鉄バス南有馬小学校前バス停から徒歩で10分

駐車場

備考

創建年代 :1648年

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