伊勢神宮
伊勢/その他神社・神宮・寺院
外宮→月讀宮→猿田彦神社→内宮と回ってきました⛩️ゆっくり歩いて回ってきましたこの日も平日の割にはそれなりの人出さすが伊勢神宮ツアーの団体が来た時は焦った笑基本的な場所と別に立ち寄りたい別宮などは事前にチェックしていたのでゆっくりしっかり回れました駐車場に困ることもなかったです真剣にお参りして回ったので写真撮るのをほとんど忘れてました…😅
📍伊勢神宮令和初のお正月は伊勢神宮を目指し夜中に移動。早朝に着きましたが、人の混雑は大きくなくスムーズに参拝することができました。神聖な雰囲気の伊勢神宮はやはりキリッとした気持ちになります。なかでは甘酒が振る舞われていました。朝のおかげ横丁はオープン前で堪能できずですがいい思い出です。
伊勢神宮 外宮
伊勢/その他神社・神宮・寺院
伊勢神宮豊受⼤神宮(外宮)今回もお誘い頂いて弾丸ツワー。「招かれた人が行ける場所」といったうわさ。そう聞くとなんかうれしい。伊勢神宮は具体的なご利益があるというよりも、個人の日ごろの感謝を伝えるための場所。。そろそろいつも楽しく過ごさせてもらってることをお礼を言いにいかなくちゃ。。「お伊勢参りは外宮から」がならわし!まずは外宮から。。時間がなくてちゃんと回れなかったけど。。次は泊まりで二見浦の「二見興玉神社」からちゃんと回りたい!!豊受大神宮(外宮)は約1500年の歴史です。天照大御神さまのお食事を司る衣食住を始めすべての産業の守り神です。1火除橋2清盛楠3手水舎4せんぐう館5まがたま池6正宮豊受大神宮7古殿地8三ツ石9別宮多賀宮10別宮土宮11下御井神社12別宮風宮13四至神14五丈殿・九丈殿15外宮神楽殿16北御門17御厩18度会国御神社・大津神社「伊勢の神宮」または親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社本庁の本宗であり、「日本国民の総氏神」とされる。二十二社の中の更に上七社の1社。また、神階が授与されたことのない神社の一つ。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の一つとされた。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、全ての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。⼤神
2024.8.10九州とは違う暑さです💦伊勢神宮へ!地面から照り返しが凄い!日傘、帽子被って…少しはと思ってたけど…照り返しが……🥵☀外宮から、お参りしてきました。次は、内宮へ!
猿田彦神社
伊勢/その他
伊勢神宮とは別に絶対に行きたかった場所伊勢に行くと決まってから日本神話を読みまくってから行ったので楽しみも興味も倍増でただお参りに行くのとは全然見方が違ってきて凄くこの伊勢旅行は楽しかったどうせいくなら目的地の歴史や物語を少しでも知ってから行かないともったいないと思いました😆
猿田彦神社佐瑠女神社お初のこちらへ。色んな人からここは行った方がいいよ!と聞いていたのにずっといけなったの。ご飯後によってみる??と。。こちらも導かれた!!くぅ。。うれしい!!おみちびき猿田彦大神縁結び芸能神佐瑠女神ちなみに猿田彦神社境内の真ん中に方角や干支が刻まれた八角の石柱は今の場所に本殿が移される前、神殿があった場所です昭和11年の御造営まで永く御神座のあった特別な場所なのです。開運を願い毎日多くの方が願いをかけて触られているらしいですがここはもともと御神座のあった神聖な場所ということで、まちがえて踏んでしまうことのないように印として立っているそうです。自分の干支や、関わりのある方角を触れるといいともいわれていたり、特定の順番で触れると運気があがるなど、さまざまな説があるので試してみてください。そして余談ですが。。神社の在り方は男女の交わりを表していて参道は、お産の時の産道鳥居は、女性が足を開いて立っている姿、つまり股楼門は女性器に、鈴は睾丸、鈴の尾は男性器、社殿は女性の子宮にあたると言われています。猿田彦神社ものごとの最初に御出現になり万事最も良い方へ“おみちびき”になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土に啓行になられた」と伝えられていて天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、天宇受売命(あめのうずめのみこと)と御一緒に本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開拓にあたられました。その功により「猨女君」(さるめのきみ)と称号を受けられました佐瑠女神俳優(わざおぎ)・神楽・技芸・鎮魂の祖神と仰がれる天宇受売命が奉祀されています。天照大御神が天岩窟に籠もられ世の中が乱れたとき、天宇受売命が神楽をされ、そこに集まった八百万の神々が喜び笑い、天照大御神が再び現れ平和な世になったと言われています色々な良き御縁を結ぶ神様として信仰も篤く、先にお話しした猿田彦大神と、瓊瓊杵尊の仲をとりもったのは天宇受売命とされており、瓊瓊杵尊を猿田彦大神とともに高千穂に送り届けたあと、ふたりは五十鈴川の上流であるこの地に戻り夫婦になりました。