掛橋坂(県指定史跡)

カケハシサカ

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伊佐・霧島/旧街道

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古くは、道幅が狭く危険な板敷きの道=「桟(かけはし)」で、地名「掛橋」の由来となった説がある。江戸時代に、藺牟田・祁答院方面と蒲生を結ぶ地方街道として利用され、帖佐郷にあった納屋町御蔵・小烏御蔵まで、毎年多くの年貢米が輸送されました。18世紀末、寛政8年(1796)までには、地山の石を削った石段や切り石を敷き詰めた石畳が完成したようです。明治30年代以降は、馬車輸送のため、急勾配の掛橋坂は避けられ、次第に人々から忘れ去られましたが、市の教育委員会が現地調査や文献調査などを進め、文化的価値を見定めてきました。

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基本情報

掛橋坂(県指定史跡)

カケハシサカ

鹿児島県姶良市蒲生町北字込原

0995-62-2111

アクセス

(1)姶良市蒲生総合支所から車で15分

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