宝筐院

ホウキョウイン

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口コミ

  • 京都を巡る会・「武」

    京都を巡る会・「武」

    【京都・嵯峨宝筐院】 ・室町幕府の二代将軍足利義詮の塔所で、その院号により宝筐院と名付けられております。 ・南北朝時代敵味方に分かれた「楠木正行」と「足利義詮」の墓が仲良く並んでいる寺院です。😊 ・これは義詮が正行の人柄を慕い、そばに葬るように遺言したためと言われておりますが定かでは有りません。 ・臨済宗の単立寺院でもあり、庭園内には多くのモミジやドウダンツツジがあり晩秋から初冬には、みごとな紅葉が見られます。  ※普段は、非公開寺院で、秋は特別拝観ができます。😊 [アクセス] ☀︎京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9-1 ☀︎JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅下車、徒歩15分🚶‍♀️

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  • 京都を巡る会・「武」

    京都を巡る会・「武」

    【京都・嵯峨宝筐院】 ・昨日の、嵯峨野嵐山界隈の散策で、二尊院の近くにある、宝筐院さんへ向かいました。 ・こちらは💁室町幕府の二代将軍足利義詮の塔所で、院号により宝筐院と言われております。 ・宝筐院は、平安時代に白河天皇により創建され、当初、「善入寺」と称されていました。 ・南北朝時代に夢窓疎石の高弟、黙庵(もくあん)が入寺し、室町幕府の二代将軍足利義詮(よしあきら)の保護を得て、伽藍が復興されました。 ・庭園は『足立美術館』の作者として有名な中根金作の作庭となっております。 ・義詮の没後、その院号宝筐院に因んで現在の寺名に改められ以後、足利氏歴代の崇敬を得て栄えたが、応仁の乱に伴う荒廃と室町幕府の衰亡と共に寺も衰微し、江戸時代の末には廃寺となりました。 近代に入り、明治時代に京都府知事・北垣国道により石碑が建てられ、神戸の川崎財閥(川崎造船所/現・川崎重工)の川崎芳太郎が旧境内地を買い戻し再興されました。 ・現在のお堂は、明治時代以降に再興されたもので、本堂には、十一面千手観世音菩薩が安置されております。🙏 ・境内には、貞和4年(正平3年、1348年)、四条畷の合戦で戦死した、楠木正行(まさつら)(正成の子)の「首塚」と伝えられる五輪石塔及び義詮の墓と伝えられる「三層石塔」があり、当時の動乱期の歴史の面影が偲ばれます。
 ・また、動乱の南北朝時代に敵味方に分かれた楠木正行と足利義詮の墓が仲良く並んでおります。 ・これは義詮が正行の人柄を慕い、そばに葬るように遺言したためと言われ、臨済宗の単立寺院として庭園内には多くのモミジやドウダンツツジがあり晩秋初冬には見事な紅葉🍁を見る事が出来ます。
 [寺院情報] ☀︎京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9-1 ☀︎☎️ 075-861-0610 ☀︎無休 ☀︎拝観時間:9時~16時 ☀︎拝観料:大人500円、小・中学生200円 ☀︎御朱印は、御朱印帳に頂けますが、スタンプ形式での略式御朱印で、日付けのみ手書き記入された物となります。 [アクセス] ☀︎市バス「嵯峨釈迦堂前」下車、徒歩3分 ☀︎JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅下車、徒歩15分☀︎嵐電嵐山本線「嵐山」駅下車、徒歩約15分 #aumo #京都を巡る会 #嵯峨野 #宝筐院 #御朱印巡り #紅葉 #史跡巡り

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基本情報

宝筐院

ホウキョウイン

京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町

075-861-0610

アクセス

(1)◆市バス「嵯峨釈迦堂前」下車、徒歩3分◆JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅下車、徒歩15分◆嵐電嵐山本線「嵐山」駅下車、徒歩約15分

特徴・関連情報

備考

営業時間 :拝観 9時~16時 料金/営業時間/休業日 :拝観料 大人 500円 小・中学生 200円

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