天明3年の夏空が灰色に包まれ浅間山が噴火しました🌋それは江戸にも影響するほど大規模な噴火でした流れでた溶岩によって埋まってしまった村がありますそれがここ『鎌原地区』(かんばらちく)です。村のほとんどの方が亡くなってしまったのですが生き残った方々が逃げてきたのがここ鎌原観音堂でした。よく見ると赤い橋がかかっている階段部分の下にも階段が続いていますこの辺りでは高台であった観音堂の頂上辺り15段だけが残ったんですそしてこの階段下部分から若い女性が年上の女性をおんぶしているような形のご遺体が見つかりました。これがイタリアの世界遺産ポンペイと同じ物語だと言う事ですぐ近くの資料館にはポンペイ遺跡のレプリカが置かれました。