英彦山
太宰府・宗像・糟屋郡/その他
400メートル先にある望雲台という案内を見てウォーキングで鍛えているから楽勝と思い向かいましたが、なんのなんの半袖半ズボンのシューズの私には地獄でした🤣挙げ句の果てはチェーンを掴んで登ると言うおまけ付き😂落ちそうでえずかったです😱
福岡県でただ一つの神宮として知られる英彦山神宮。佐賀から前回チャレンジするも、通行止めで諦めたのですが、今回国東方面へ向かう途中に再度チャレンジです。が、やはりスマホもナビも通行止め情報は無く、前回と同じく通行止めでした。諦めて嘉麻市方面から国東へ向かう事にして走行していると、途中英彦山の表記看板発見👍早速、憧れのお山へ。その途中、又しても行く予定していた旧蔵内邸発見👍先ずは旧蔵内邸拝観したのち英彦山へ。英彦山神宮の本宮は英彦山山頂(1200メートル弱)に本宮があるのですが、奉幣殿からでも長い石段を登ると所要時間が2時間程かかるようなので、私にはとても自信は無いので手前までスロープカーで行ける奉幣殿までにしました。このお山はその様に道中が大変きついので、修験道霊場として知られ天狗さんのお山として知られているみたいです。花駅まで車で登りました。そこからスロープカーからの景色を見ながらになります。2枚め花駅奥に見えるのは一番下の駅から登ってくるスロープカーの線路ですが、現在は使われていないとの事。4枚目旧英彦山小学校今はお土産物や展示コーナーとして使用。英彦山柚子サイダーを購入。優しいサイダーでグッド👍こんな山の中に学校があったのに驚きでした。今見えているのは2階部分が体育館1階部分が教室でした。写真撮影忘れてました。運動場は、二枚目にも見える駐車場になっている所だったとの事でした。ここへ来るまでにはスクールバスが何台も走り児童の送迎をしている事も分かりました。山間部ですが,人々の生活を支えている行政がある事も知りました。英彦山鉄道が廃止になり人々を支える工夫がされているのですね。この辺りには立派な家屋が多かったのも知りました。昔から営々と引き継がれてきた人々の暮らしは、これからも繋がっていくのだろうなと感じた事でした。写真が無くてごめんなさい🙇
英彦山神宮
山田市・田川市・田川郡/その他
1、2、3枚目スロープカー終点駅の上にある奉幣殿5、枚目此処から本宮へのお参りを6、枚目下津宮からの景色7、枚目下津宮への石段横のお天狗様8、枚目下津宮への石段正面奥に下津宮
英彦山神宮の御朱印開口一番に、インターネットで売るのか?とか言われはぁ?となった英彦山神宮でもらった御朱印御朱印帳を持っていくと300円、紙でもらう場合は、ペナルティで500円と言われました。コロナ禍で御朱印帳を断る神社ばかりなのにここは受け付けてくれるんだなぁと思いました。そして、お土産用の御朱印もだめだの紙で貰う御朱印に対しても、ペナルティ!?御朱印をネットで売ることにお怒りでしたが、私そんなことしません^^英彦山神宮は福岡県田川郡添田町英彦山にある神社です。とにかく遠いんです。正確な創建年代は不明。祭神天忍穂耳尊が降臨した霊山として古くから信仰されてきたといい、済仁天皇四十一年(前57年?)に英彦山山頂に社殿が建てられたとされます。927年(延長五年)成立の延喜式神名帳にみえる「忍骨命神社」は当社ともされ、平安時代以降神仏習合は進み、「英彦山権現」と呼ばれて修験道の拠点として栄えました。英彦山は古くは日子山といいますが819年(弘仁十年)に嵯峨天皇の詔によって「日子」が「彦」に改められたといい、1729年(享保十四年)に霊元天皇から「英」の字を贈られ「英彦山」となった。明治維新後神仏分離令により仏教的な要素は除かれて英彦山神社と称するようになり、近代社格制度のもとでは1898年(明治三十年)に官幣中社に列せられている。1975年(昭和五十年)に現社名に改称。