吉野ヶ里遺跡の北部には王仁博士を祀っていた石祠王仁天満宮が残る鰐神社又は王仁神社があります。1.2.3.4枚目そのすぐ横には王仁顕彰公園があります。その天満宮に祀られている王仁博士は古事記、日本書紀にも記載されている百済の学者です。博士は日本に初めて千字文と言う漢字を伝えた人でもあります。又、論語を広めた人でもあります応神天皇の招聘により来日その王子の教育係となった人なのです。😊王子のために千字文と論語10巻を携えて来た人なのです。この人のおかげで日本に漢字が広まっていったのですね。😊5世紀に百済から船でここ神埼の下に上陸したのです。昔は、海が吉野ヶ里遺跡から5キロ位の所にあったのですね。王仁神社に碇石が残されているのが不思議だったのですが、(4枚目)すぐ近くに海があったのが分かり納得です。今は王仁博士を祀る韓国の霊岩と同じ百済門を親善の意味を込めて、全ての材料を韓国から運び同じ門が寄贈されていて韓国との交流もあります。(7枚目)又枚方に王仁博士の墓があったのではないかと言うことで、千字文の陶板には枚方や韓国、日本全国からの人の字が陶板に記されています。(6枚目)余談ですが,佐賀は朝鮮から近いこともあり色んな記録が残されている事を不思議に思っていたのですが、昔は佐賀市内や神埼市は海の近くだったのです。今は後退しているのですね。鑑真和上も佐賀のバルーンで有名な嘉瀬川近くの嘉瀬津に上陸していたのですが、それも納得です。吉野ヶ里歴史公園に来られた時は王仁博士顕彰公園や鰐(王仁)神社へもどうぞ。😊