板倉重昌の碑

イタクラジュウマサノヒ

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雲仙・島原/その他

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島原の乱の征討使として着任。成果が上がらず、第2征討使、松平伊豆守が派遣されたのにあせり、寛永15年元旦総攻撃を敢行し戦死。この碑は、乱後43年目の1681年に重昌の孫である重道の依頼で建立計画され、碑文を彫り建立を申し出たが、許可されず放置されていた。その後1798年板倉八右衛門勝彪(島原松平氏主席家老)によって建てられた。撰文 林整宇(林羅山の孫)

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基本情報

板倉重昌の碑

イタクラジュウマサノヒ

長崎県南島原市南有馬町大江

アクセス

(1)島鉄バス「原城前バス停」から徒歩で13分

特徴・関連情報

備考

創建年代 :1798年

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