卜全塚(氏家卜全の墓)(海津市)

ボクゼンヅカ(ウジイエボクゼンノハカ)

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西美濃三人衆の一人 大垣城主氏家卜全は、戦国末期の大垣城主で織田信長に仕えており、当時西美濃三人衆といわれた実力者の一人でした。元亀元(1570)年、伊勢長島で勢力を誇っていた願証寺の門徒六万余は織田信長に反抗していた石山本願寺の寺に応じ尾張に攻め込んで織田信興(信長の弟)を滅ぼしました。(長島一向一揆)翌年5月、信長は長島攻略のため出陣しましたが、その際卜全は川西(多芸山太田口)に柴田勝家らと共に布陣しました。これに対し、長島門徒の反撃は激しく、氏家勢は敗退し、追撃をうけた卜全は5月22日石津郡太田郷安江村七屋敷で戦死しました。時に59歳でした。養老鉄道美濃山崎駅から南約800メートル程の線路東側に卜全を葬ったといわれる「卜全塚」があり、卜全の首を洗ったと伝える「卜全澤」の碑が、安江地内に残っています。

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基本情報

卜全塚(氏家卜全の墓)(海津市)

ボクゼンヅカ(ウジイエボクゼンノハカ)

岐阜県海津市南濃町安江1434-21

0584-53-1536

アクセス

(1)養老鉄道美濃山崎駅から15分

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