今尾城跡

イマオジョウアト

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岐阜・大垣・揖斐川/文化史跡・遺跡

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関ケ原の合戦 前哨戦・南美濃の戦い 東軍 市橋長勝は、西軍 丸茂兼利の福束城を攻める! 東軍 市橋長勝の居城。長勝は、福束城の戦いで奇計をめぐらし、東軍を勝利に導きました。今尾小学校のあたりが本丸跡で、校内に石碑と案内板があります。南美濃の戦いでは、松ノ木城主・徳永寿昌と共に福束城(城主 丸茂兼利)を落城させます。今尾藩初代当主の竹腰正信は、尾張徳川家の初代藩主徳川義直と異父兄弟の関係です。正信は養父である家康に見込まれて義直の側近に取り立てられました。そして、犬山城主成瀬正成とともに尾張藩附家老を命ぜられ、両家の歴代当主は幕末まで尾張藩を支えました。家康が秀忠に将軍職を譲り駿府城に移り住んだあと、城で火事がおこりましたが、正信が8寸の錠前をとびかかってねじ切り、病床にあった家康を庭へ抱え出し、小屋の棟木を抜いて火を消したと伝わっています。この時正信は16歳。これ以降、家康からの信頼を一層厚くしたとされています。今尾小学校から少し歩くと、西願寺があります。西願寺の山門は、今尾城の門の一つを移築したものといわれ、当時の今尾城を偲ぶことのできる唯一の遺産となっています。

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基本情報

今尾城跡

イマオジョウアト

岐阜県海津市平田町今尾4434

アクセス

(1)JR大垣駅から40分(名阪近鉄バス海津線、今尾バス停下車、中山道垂井宿) 名神高速道路 安八スマートICから15分 東名阪自動車道 長島ICから29分

特徴・関連情報

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