大良の戦い 金矮鶏神社・大浦城跡・大浦の蛇

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殿軍は、織田信長が自身! 大浦城跡(大浦の寺砦跡)は、一名聖徳寺砦とも言われています。弘治2年(1556年)4月、織田信長(道三の娘婿)は、斎藤道三と嫡子 義龍が争った「長良川の戦い」に道三の援軍として木曽川を越え「大良(現・岐阜県羽島市正木町大浦周辺)」へ進軍します。父 道三を破り勝利した斎藤義龍は、長良川の戦い直後、大良に陣取る信長軍へ兵を差し向け「大良の戦い」になります。道三の死を知り、撤退を決めた信長は、先ず雑人や牛馬を退かせ、「殿軍(しんがり)は俺がやる!」と言い、舟一艘のみを残し全軍を先に渡河させた逸話が信長公記に残っています。尚、義龍軍の攻撃で大浦城に落城が迫った時、大浦城のお姫様は家宝の金矮鶏を抱いて城内の井戸に身を投げました。その後、毎年元旦の早朝に金矮鶏の鳴き声が3声聞かれると伝えられており、金矮鶏神社の由来でもあるそうです。又、大浦の蛇(大浦の蛇踊)は、正木町大浦地区に伝わる雨乞いの伝承で、雄・雌二頭の蛇が伝えられています。由来は、江戸時代中期と考えられ、農耕生活の中で、雨乞いや豊作の祈願や感謝の神事に使われていました。

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「大良の戦い 金矮鶏神社・大浦城跡・大浦の蛇」の基本情報

名称

大良の戦い 金矮鶏神社・大浦城跡・大浦の蛇

カテゴリー

神社・神宮・寺院・その他神社・神宮・寺院

住所

岐阜県羽島市正木町大浦新田7-41

アクセス

(1)不破一色駅から20分( 名鉄本線 笠松駅で名鉄竹鼻線に乗換え) 名神高速自動車道 岐阜羽島ICから15分 東海北陸道 一宮木曽川ICから18分

駐車場

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