海野塚

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 真田昌幸は、沼田城を天正8年(1580)6月に手中に収め、真田一族の海野能登守輝幸を二の丸、藤田信吉を本丸城代に、金子美濃守を執事に据えました。 輝幸の兄の幸光は岩櫃(いわびつ)城代でした。この兄弟をねたむ者の「海野は北条と通ずる」との讒言(ざんげん)を信じた昌幸は、弟の信尹に命じて先ず幸光を急襲して討ち、直ちに沼田城に入りました。 輝幸は、「主家に二心無き証をたてん」と迦葉山を目ざす途中、岡谷地内で真田勢に追撃されてしまいます。 輝幸は、真田の検視役・田口又左衛門と沼田一の豪者・木内八右衛門を一太刀で討ち、「無益の殺生はこれまで」と嫡男幸貞と刺し違え自刃したのです。 そして、父子をここに葬り、海野塚と称しました。

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「海野塚」の基本情報

名称

海野塚

カテゴリー

その他・その他名所

住所

群馬県沼田市岡谷町1116-3

駐車場

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