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奥の院経蔵
和歌山・高野山下/その他
奥の院への紅葉狩り🍁赤や黄色やオレンジに色付いた紅葉に癒されてきましたぁ🥰今年は急に冷え込んだ影響なのか、紅葉が早めなのかもしれません次は何処へ行くかな
四国霊場八十八ヵ所満願お礼参りで、高野山奥の院に行ってきました。ケーブルカーで、山頂に降りた瞬間から、空気の清々しさを、感じて静寂で、ゆったりと、時の流れの、天空の世界に来た様な気持ちでした。四国、八十八ヶ所霊場のあの約1300kmの厳しく、壮大な道程の最後の奥の院の出迎えには、心優しい弘法大師に感謝しました。現在も弘法大師と共に生活を、していると言う信念は、素晴らしいですね。高野山奥の院とても良かったです。まず、大名のお墓や供養塔に萌でした(笑)凄く沢山の武将様がここに供養されているみたいです。一の橋から、中の橋を通り奥の院まで行くのですが、とても素晴らしい立派な墓石が沢山あり、心が浄化されて行くような感じでしたよ。織田信長の墓の先に最後の橋があります。その橋を渡ると、撮影は禁止になります。
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奥之院
高野山/その他神社・神宮・寺院
高野山壇上伽藍と奥の院への参道です
昼食後、奥之院へ奥之院は、弘法大師空海の御廟がある場所で、壇上伽藍と並ぶ高野山の二大聖地の一つ。高野山の信仰の中心とされています。弘法大師は853年に62歳で入定し、以来1200年にわたってこの地で永遠の瞑想を続けていると信じられています。樹齢七百年を超える杉木立が生い茂る参道は、一の橋から御廟まで約2キロメートル続き、20万基以上の供養塔や墓石が並んでいます。ここには皇族や大名、文人、庶民など、さまざまな階層の人々の墓石があり、法然、親鸞、上杉謙信、織田信長、伊達政宗、武田信玄、豊臣一族のものも含まれています。多くの人々の歴史や信仰の深さを感じるます。奥の院の参拝は、一の橋を渡り、参道に沿って並ぶ墓碑を眺めながら進んでいきます。中の橋を渡り、水向地蔵を過ぎ、御廟橋を渡ると、いよいよ御廟のある聖域へと足を踏み入れます。弘法大師御廟の拝殿にあたる燈籠堂は現在昨年末より工事中のため、拝殿へ迂回して参拝します。本来であれば燈籠堂への内拝、地下法場へお参り出来るのですが今回は出来ませんでした。多くの燈籠が祈りを込めて奉納されており、さらにその先に進むと弘法大師の御廟があります。またいつか今度は登山して訪れるのもいいかも知れません。
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壇上伽藍
高野山/その他神社・神宮・寺院
朱色の塔がとても綺麗な寺院です。写真撮影は禁止ですが、国宝級の仏像を沢山見る事が出来ます。また、目の前にある駐車場は無料です。高野山を代表する美しい建物です。和歌山方面からここに行く時は、中の橋の駐車場に停めるより手前のガソリンスタンドの信号を左折してトンネルをくぐって突き当たりを右折して壇上伽藍の裏の道の余地に車を停めて行きます。多分駐禁では、なかった様でした。裏の方が高野山らしい静かな景色でした。根本大塔を中心に金堂、御影堂、国宝の不動堂などで伽藍が形成されています。胎蔵曼荼羅界を現しています。根本大塔は思っていた以上に大きさに驚きました。建築物はもちろん大日如来を中心に曼荼羅を現した仏像群も必見です。
壇上伽藍は弘法大師空海が高野山で最初に真言密教の根本道場を開いた重要な聖地。金堂(こんどう)は高野山の重要な儀式が行われる総本堂。六角経蔵(ろっかくきょうぞう)は鳥羽上皇の皇后であった美福門院得子が夫の菩提を弔うため平治5年(1159)に建立。基壇の把手を押しながらぐるりと回ると読経した功徳が得られる。御社(みやしろ)は弘法大師が弘仁10年(819)に天野の丹生都比売神社から丹生明神(丹生都比売大神)と高野明神(狩場明神)を勧請して高野山の守護神として祀ったのが始まり。本殿前の狛犬は、弘法大師空海を高野山へ導いた狩場明神の遣いの白黒2頭の犬の姿を表しているといわれます。西塔(さいとう)は根本大塔と対となる重要な多宝塔で、仁和2年(886)に建立。現在の建物は天保5年(1834)に再建されたもので、金剛界大日如来をご本尊に祀っています。御影堂(みえどう)は弘法大師空海の持仏堂だった檜皮葺の屋根が美しい宝形造のお堂で、弘法大師の御影を祀ることからこの名でよばれるように。毎年旧暦の3月21日の前夜にのみ、外陣からの参拝が許されます。来る時もかなりの山道でしたがこんな立派な建造物をよく昔の人達は作ったものだと思います。これが未来永劫残ると思って作られたのですかね。にしても思いが無ければつくれないか。
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