当時の宇和郡7万石を与えられた藤堂高虎は、板島丸串城のあった地を本城にし、築城に取り掛かりました。工事が本格化したのは、1596年(文禄5年・慶長元年)のこと。藤堂高虎が宇和島の領主となった翌年です。築城には5年の歳月を要し、1601年(慶長6年)に完成します。豊臣秀吉の家臣としてそれまでも複数の築城に携わった藤堂高虎でしたが、大名になって自身の城づくりを行なったのは宇和島城が初でした。藤堂高虎は、宇和島城築城後、自身の居城である今治城の築城や、「徳川家康」の命を受けて手がけた伏見城の築城など、人生で数多くの築城にかかわってきたことから、築城の名手としても名高いです。🤗