徳島城跡

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徳島・鳴門/文化史跡・遺跡

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市の中央にそびえる城山は、形がイノシシに似てることから「猪の山」といわれ、また、その地勢が中国の謂水の風景に似ているので「謂津」とも名付けられた。この城は細川頼之が築城したが、その後、三好・長曽我部を経て天正13(1585)年に蜂須賀家政が入り、これを修築し阿波の本拠となった。南東に、復元された鷲の門や木橋に架け替えられた数奇屋橋、徳島城博物館などから、昔日の面影をしのぶことができる。 徳島城博物館 Tel:088-656-2525

口コミ

基本情報

徳島城跡

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徳島県徳島市城の内 徳島中央公園

088-656-2525

アクセス

(1)JR徳島駅から9分

特徴・関連情報

備考

築城年代1 :1586 その他 、豊臣秀吉の四国征伐に戦功をあげた尾州の蜂須賀正勝は、阿波一国を与えられたが老齢のため辞退、嗣子家政が代わって賜わる。天正13年(1585)家政は名東郡富田庄の猪山にあった渭山城と山麓の寺島城を合わせた大規模な平山城を起工。長宗我部元親、小早川隆景らの助けを得て翌14年に完成。以来明治に至るまで蜂須賀氏累代の居城として栄えた。当時の建物はなく、石垣、礎石が残っているだけで、徳島公園として市民に開放されている。◎蜂須賀家政(1558-1638)蜂須賀正勝の子。秀吉の四国征伐に従軍、その功で阿波国領有、徳島城を築く。三代まで後見し、藩政の基礎を確立。◎蜂須賀至鎮(1586-1620)徳島生れ。家政の長子。大坂陣の功で淡路を加封さる。藩政の根本方針「御壁書二十三ケ条」を彼の名で発布する。◎蜂須賀重喜(1738-1801)秋田佐竹氏から入って十代藩主となる。宝暦の藩政改革に挺身したが、家臣の反対多く、幕府から隠居を命ぜられる。◎蜂須賀茂韶(1846-1918)徳島藩最後の藩主。廃藩置県で東京に移り、英国留学。特命全権公使、貴族院議長、文部大臣、枢密顧問官を歴任。

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