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【美濃路とは】 美濃路は、中仙道の垂井宿(岐阜県垂井町)から東海道の宮宿(名古屋市)を結ぶ全長14里24町15間(約57.5km)の街道です。 中仙道の垂井宿からはじまり、途中には、大垣宿(岐阜県大垣市)、墨俣宿(岐阜県大垣市)、起宿(一宮市)、萩原宿(一宮市)、稲葉宿(稲沢市)、清須宿(清須市)、名古屋宿(名古屋市)の7宿があり、東海道の宮宿に合流します。又、足下には、間の宿(岐阜県羽島市)も置かれました。 慶長5年(1600年)関ヶ原の合戦のとき、福島正則が先鋒として進撃し、勝利後に徳川家康が凱旋したとき、この道を通って帰ったことから「お悦び街道・吉例街道」とも呼ばれます。五街道と同じく、江戸幕府直轄の街道で、道中奉行の支配下に置かれ、道幅・松並木・一里塚・宿場・助郷も五街道なみとなっています。 東海道の鈴鹿峠越えや海路の「七里の渡し」に比べ、遠回りになりますが、安全性が高く、天候に左右されず予定通りの通行が可能であったため、女性にも重宝され、多くの旅人が利用しました 徳川家康・秀忠・家光らの将軍をはじめ、参勤交代の大名や朝鮮通信使、琉球王使節、お茶壷道中など、さらには、象も、この街道を通っていたなど、一般民衆の旅の利用はもとより多くの人たちがこの道を往来しました。【稲葉宿】 天保14年(1843年)の稲葉宿は、家数336軒、人口1,572人、旅籠屋8軒、本陣・脇本陣各1軒、問屋場3箇所がありました。本陣の小沢村の原所次右衛門の家は、門構・玄関付で建坪113坪(約373平方m)、脇本陣の東町の吉田又吉の家は、門構・玄関付で建坪70坪(約231平方m)でした。問屋場が3箇所あり、稲葉村西町の西問屋場は原氏と伊東氏が交代で勤め、稲葉村東町の中問屋場を伊東氏、小沢村の東問屋場を原氏があずかり、1問屋場2日交代で勤めたといいます。宿場の長さは、8町21間(約911m.)でした。【美濃路稲葉宿本陣跡ひろば】 美濃路の宿場であった稲葉宿には、休泊施設として本陣、脇本陣や旅籠が置かれました。本陣は、寛永12年(1635年)に参勤交代の制が定められたことにより全国の宿駅に設置され、諸大名のほか勅使、宮門跡、幕府役人、外国使節なども利用し、脇本陣は本陣の補助をしました。稲葉の宿では、小沢村の原所次右衛門が本陣を、稲葉村の吉田又吉が脇本陣をつとめました。 「美濃路稲葉宿本陣跡ひろば」は、この本陣があった場所に街道観光の拠点施設として、整備された歴史公園です。まち歩きの際に立ち寄り、稲葉宿の在りし日の姿に想いを馳せていただくとともに、交流の場としてご利用ください。
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