谷秦山屋敷跡及び墓

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谷重遠(谷秦山)は江戸時代の儒学者です。土佐天文学の先駆者でもあり、高知城の位置が北緯三十三度半強と測定したのは、伊能忠敬より一世紀以上も早い段階だったといわれています。四十歳のとき五代目藩主山内豊房に召されて高知に移り、藩士たちに講義をしました。死後も学問は子孫と門人に受け継がれて、土佐藩教学の中心となり、多くの人材を輩出してのちの明治維新の原動力となりました。現在は学問の神様として親しまれ、多くの人が合格祈願に訪れます。国指定史跡です。

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「谷秦山屋敷跡及び墓」の基本情報

名称

谷秦山屋敷跡及び墓

カテゴリー

観光施設・名所巡り・文化史跡・遺跡

住所

高知県香美市土佐山田町秦山町

アクセス

(1)JR土佐山田駅から徒歩で15分 (2)高知自動車道南国ICから車で10分

駐車場

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