田原又太郎忠綱の墓

-
京都 > 城陽・京田辺

本サービス内ではアフィリエイト広告を利用しています

治承4年(1180)、以仁王の平氏追討令に呼応して挙兵した源頼政は平等院に布陣し宇治川を挟んで平氏軍と対峙した。その頼政軍を攻めて武功を揚げた平氏方の武将足利忠綱は、地元の伝承では郷之口北堂山にてその後の平氏の滅亡を嘆いて自刃したとも、宇治川合戦で負傷してたどり着き息絶えたともいわれる。住民は供養塔を建て又太郎社を祀ったが現在は郷之口の斎田神社に合祀される。現在は軍人墓地の一角に碑が建っている。

新型コロナウイルスの影響により、最新の情報ではない可能性もあります。お出かけ前に最新の公式情報を、必ずご確認下さい。

「田原又太郎忠綱の墓」の基本情報

名称

田原又太郎忠綱の墓

カテゴリー

観光施設・名所巡り・文化史跡・遺跡

住所

京都府綴喜郡宇治田原町郷之口南堂山

アクセス

(1)◆京阪宇治線「宇治」駅、JR奈良線「宇治」駅、または近鉄京都線「新田辺」駅から京都京阪バス(維中前、工業団地、緑苑坂行き)で「下町」下車、徒歩5分

駐車場

「田原又太郎忠綱の墓」周辺のレジャー・観光スポット

もっと見る

「田原又太郎忠綱の墓」周辺のお店・レストラン

もっと見る

「田原又太郎忠綱の墓」周辺のホテル・旅館・宿泊施設

もっと見る

「田原又太郎忠綱の墓」周辺のチラシ・ショッピング施設

この施設のオーナー様はこちら

おでかけメディア「aumo」を運営するアウモ株式会社では、施設のおすすめポイントやメニューなどを魅力的に紹介する施設ページの開設ならびに記事執筆を行なっております。 また、SNS運用のサポートも行なっておりますので、WebやSNSでの集客に関するお悩みなど、お気軽にご相談くださいませ。詳しくはこちら