東山のその他を探すならaumoで。このページには「東山 × その他」に関するまとめ記事、スポットが掲載されています。「東山」「その他」に関するスポットを人気順でご覧いただけます。
本サービス内ではアフィリエイト広告を利用しています
探す
エリアから探す
東山
ジャンルから探す
その他
シーンから探す
すべて
東山/その他
京都市東山区清水にある、地主神社です。かの有名な清水寺のすぐ東隣、というか、ほほ清水寺の敷地内にあります✨地主神社で有名なのは「恋占いの石」です🎶「恋占いの石」というのは、二つの石が数メートル離して置いてあり、片方の石から目をつぶって歩き、もう片方の石に辿り付ければ恋愛が成就するとされています🥰必ず一人ずつ行ってくださいね❗️数名が一度にやるとぶつかって訳がわからなくなってしまいますので😅女子好みの可愛い御守りもたくさん種類があり、見ているだけでも楽しくなりますよ🤗清水寺に行かれた際は、是非一度立ち寄ってみてください✨画像の「縁」が目印です🎶
⑤地主神社(清水寺)清水寺の境内にある『地主神社』恋愛成就の神さまとして有名な古社です。📷2019.6.29📷2020.11.20
外部サイトで見る
星評価の詳細
1001体の観音像が並び、風神・雷神像をはじめ計1032体の仏像が置かれています。「蓮華王院三十三間堂」横幅約120メートルの細長い堂内は、薄暗く黄金に輝く千手観音像が隙間なく並んでいます。混雑する事なく、この場所では騒ぐ方もいらっしゃらないので、穏やかな気持ちでゆっくりと仏像様のお顔を拝見しました。ご利益は「頭痛封じ」の様です😊拝観料一般600円 中高生400円 小学生300円堂内は、撮影禁止です。
ぶらっと京都へ初めて三十三間堂です。ほんとは京阪東福寺駅下車して今熊野観音寺へ行く予定がたまたま乗った特急が京橋〜七条駅までノンストップで七条駅からて歩いて行く途中にお〜🫢こんなとこに三十三間堂があるとは‼️TV、雑誌なんかで見たことあって千体の観音像に感動です🥺堂内は写真撮影ダメ❌なのでパンフ写真でご勘弁を。
雲もなく空が綺麗で撮影には持ってこいでした
8月16日(日)弟の家族と京都へ…すんごい暑かった💦人はめっちゃ少なくてお店も閉めてる所があり、いつもの二寧坂、産寧坂とは違いました😳ここで転ぶと2年以内に死ぬと言い伝えが…恐ろしい😱確かに石段坂道は転びそうになります!気をつけてと言うことでしょうねいつもの竹細工のお店で耳かきを購入し(10年くらいリピーター)いつもの店でランチを食べいつもの清水寺の手前でUターンして帰ってくる(笑)とにかく暑いしか出てこない(笑)真夏は避けたいです☝耳かきは職人さんが1本1本丁寧に手作業で作られてるそうです!めちゃめちゃ取れます☝後日、お店と一緒に紹介しますね!ここのお箸もリピーターです!1度つかうと他のお箸が使えなくなるくらい良いです!
【新善光寺】番外・新善光寺は京都市東山にある真言宗泉涌寺派の寺院です。・泉涌寺の塔頭のひとつで、本尊は「阿弥陀如来」、泉山七福神巡り番外札所です。・寺内にある「愛染堂」にまつられている愛染明王は、泉山七福神巡り番外札所です。・新善光寺の「紫陽花の丘」があり、毎年6月24・25日あたりの特別拝観として「紫陽花祭り」が行われます。・春の枝垂れ桜、秋の紅葉が魅了する庭園には、大日如来の変化身である「愛染明王」を祀る橙色の小さな八角堂の愛染堂が存在し、「敬愛和合・恋愛成就」を祈願する方々の信仰が篤いです。※毎年1月の成人の日🎌に、こちらの「愛染堂」の扉が開かれます。※こちらでの御朱印は、四季折々と多種多様御朱印から限定御朱印(誕生日記念日🎂御朱印、結婚記念日💒御朱印など)も授かる事ができます。🤗👏・自分も誕生日の日に有難い御朱印を授かってきました。・こちらの寺院は、長野県の「信濃の善光寺本尊と近くで縁を結べるように」と、寛元元年(1243年)に後嵯峨天皇の勅願により創建された泉涌寺塔頭寺院の一つです。・後嵯峨天皇は、都の内外万民に至るまで信濃の国へは遠き山路を越え、日を経ずしては到着することができず、また、志あれども思うにまかせざる者の為に、その志を遂げさせたならば「共に是れ仏果菩提の種ならん」と考えられました。・その後、一条大宮に「値願」を請して開山し、寺号を「新善光寺」と賜るに始まり、応仁の乱(1467年)に兵火にかかり焼失しましたが、文明5年(1473年)後土御門帝の勅命により泉涌寺に移され現在に至ります。・江戸時代に建てられた大方丈(客殿)は、幕府御用絵師であった狩野周信(ちかのぶ)が「唐人物図」を描いた襖絵があり、白居易(はくきょい)の「琵琶行(びわこう)」や玄宗皇帝と楊貴妃を描いた「鞨鼓楼(かっころう)図」などの襖絵が現在も残っております。・寺院内の庭園や池もなかなか見応えのある風情ある場所で、紅葉🍁の時期には是非訪れて頂きたい場所ですね。★[アクセス]☀︎JR・京阪電車🚃「東福寺」駅🚉下車、徒歩約10分🚶♀️☀︎市バス🚌「泉涌寺道バス停」🚏下車、最初の泉涌寺塔頭「即成院」まで、ゆっくり歩いて8分🚶
泉涌寺の塔頭の今熊野観音寺です。このお寺の横から東山トレイルのコースに入ります。ここも新緑がめっちゃキレイ。悪病消除のお祈りしてきました。
豊臣秀吉の神社にお参りに行ってきました!京都にはいろんな神社やお寺がありますが、こちらは中心地から近いですがそんなに混んでないです。バザーのようなものもやっていてローカル感ありました。今回はお参りだけでしたが、有料の宝物館もあるみたいです。
豊国神社の宝物館です。ここは参拝されたら行かれた方がいいと思います!オススメのスポットです。館内は広くはないのでサラッと見られますよ。豊臣秀吉公の凄いところがよく感じられる場所だなと思いました。歯まで残っててビックリしました🫢営業時間9:00〜16:30豊国神社唐門は国宝です。
【京都・新日吉神宮】⛩️⚫︎今日、12/1午後に訪問した所は、京都の東山七条の東方向のなだらかな坂道を登った所に鎮座された、「新日吉神宮(いまひえじんぐう)」があり、こちらは、後白河天皇が院の御所「法住寺殿(ほうじゅうじどの)」の鎮守社として比叡山の守護神・日吉社を勧請した神社と言われております。🤓⚫︎日中は、比較的寒さは、和らぎ歴訪日和で、神社内の紅葉もまだ見頃でした。🍁 ⚫︎境内には、鬼門除け・災難除けなど、さまざまな御利益が信仰されており、「日吉の神」の使徒のお猿さん「真猿(まさる)」も魔除けの御利益で有名です。🤓⚫︎もともと日吉社(ひえしゃ)は、崇神天皇7年に創祀された比叡山の神をお祀りする古社で、延暦7年(788年)には最澄が比叡山延暦寺を建立し、日吉社を守護神として崇敬した事に由来します。🤓 ⚫︎さらに、延暦13年(794年)の平安京遷都により、日吉社は京の鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの社として国からも崇敬されるようになり、この地を歴訪される方々も多くおられます。🤓⚫︎飛梅天満宮は、永暦元年(1160年)後白河天皇により祀られ、御祭神は、菅原道真と道真遺愛の飛梅之霊で、「飛梅之霊」とは、道真が大宰府に左遷される時、別れを惜しんだ旧宅の梅の霊を表しております。🤓⚫︎樹下社(豊国神社)は、江戸時代の慶長20年(1615年)徳川幕府によって豊臣秀吉を祀る豊国社が廃絶・破却された際、ご神体は新日吉社神殿に密かに移設されたと言われております。🤓 ⚫︎その後、天明5年(1785年)境内社「樹下社(このもとのやしろ)」を造営し、「樹下」の神(玉依姫神)の神名に、豊臣秀吉の元の姓「木下」を重ねてカムフラージュし、徳川幕府の監視の目をくぐってきたと言われております。🤓⚫︎帰りに、有難い御朱印も頂くことができました。🙏[アクセス]☀︎市バス🚌202、206、207、208系統、東山七条バス停🚏下車、東へ徒歩10分🚶♀️☀︎京阪電車🚃七条駅下車、ゆっくり東へ徒歩15分🚶!12月の口コミ投稿キャンペーン!
新日吉神宮は京阪七条駅から東に歩いて20分とホームページにありますが夏はタクシー🚕がオススメです😅三十三間堂から東に坂道を上ると真言宗智山派総本山・智積院に突き当たります。このお寺の左側にある女坂と言う坂を東へ登ると京都女子高校の正門前に鳥居が⛩見えます👀永暦元年(1160年)後白河法皇が御所法隆寺内に比叡山坂本の日吉山王七社(日吉大社)を勧請したことが始まりだそうです。主祭神は日吉山王七神(山王権現山)・後白河天皇である。本殿の両脇にある神猿像🐒夜になると出かけはるという噂が!?お母さんが子供の頃の遊び場であんまり行かないように…(悪戯するからだと思います)おばあちゃんが話してたそうですwでもそんな、言い伝え本当にあるみたいです🐵
▪️養源院⚫︎創建は文禄3年(1594)で、豊臣秀吉の側室・【淀殿】が、父である浅井長政の菩提を弔うために建てたものです。⚫︎中に入ると、杉戸には俵屋宗達作の「白象図」や「唐獅子図」が見られます。⚫︎襖には狩野山楽が描いた「牡丹図」と俵屋宗達の「松図」があります。歴史の教科書📕や歴史の資料集などによく載っているお馴染みの写真です。⚫︎また、本堂の廊下は江戸初期の彫刻家・左甚五郎による「うぐいす張り」(知恩院、二条城もうぐいす張り)と伝わり、その天井は、関ヶ原の合戦の前哨戦「伏見城の戦い」で大敗した時の武将鳥居元忠とその他の武将の「血天井」が有名です。⚫︎上杉討伐のために徳川家康が不在となると、西軍の石田三成などが挙兵。4万の大軍で、伏見城から退去しない徳川方の守備隊1800を攻撃し、戦闘は約10日間続き、籠城方の妻子を捕縛して内応を強要してようやく落城したと伝えられる。その際、鳥居元忠率いる以下の将兵約360名は、落城の際に自刃する。血の付いた床を剥がして、天井に祀られています。天井に祀る事で、再び人の足🦶で踏まれる事が無いように弔われてます。⚫︎鳥居元忠は、姉川の戦いで先陣を切った戦国武将で知られています。⚫︎「織田信長」・「徳川家康」の連合軍と、「浅井長政」・「朝倉義景」の連合軍による合戦のことです。この戦いは、天下統一を目論む織田信長と同盟を結んでいたはずの浅井長政との確執が原因されました。この結果、織田勢が勝利し、浅井氏・朝倉氏の両家が滅亡するきっかけとなりました。⚫︎血天井が見られる主なお寺3ヶ所の寺院 ①宝泉院②源光庵③養源院が有名です。⚫︎養源院さんは、法住寺と隣接してますので、すぐに目に👀つきます😁
戦国武将、浅井長政の菩提寺卍豊臣秀吉公の側室、淀殿が建立。養源院は、浅井長政公の戒名。淀殿の妹は、徳川秀忠公の正室。そして、淀殿の母は織田信長公の妹、お市の方。と、言うことで、「織田家」「豊臣家」「徳川家」全てに関わりがあり、その上琳派の俵屋宗達の「白象」「麒麟」「唐獅子」もある。伏見城の戦いで自刃した鳥居元忠(と思われる)他およそ300名の血の跡の廊下を天井にして供養されている。血天井。
陶芸家、民藝運動で有名な河井寛次郎のかつての自宅兼仕事場が記念館になってます。とても落ち着く日本家屋で、当然登窯もあります。技術指導をした清水焼の五代目清水六兵衛の六兵衛窯のすぐ近くにあります。2階に置かれた椅子は、かの筑紫哲也のお気に入りだったそう。入館料900円、月曜休館。
●本日は、夏☀️のお盆を締めくくる「京都五山送り火」🔥が開催されます。●京都の各山々に、「大・舟・妙・法・鳥居⛩️」御祈祷護摩木が置かれ、夜の🌉20:00の点火🔥を合図に順次、各それぞれの文字に灯りが灯っていきます。●この灯りで、各ご家庭のご先祖様が、天国へ帰って行かれます🙏●今日のお昼🕑過ぎに、ご先祖のある京都東大谷祖廟へ、お参りに行ってきました😄やはり、日中は、非常に🥵💦暑かったです♪●今夜は、「五山送り火鑑賞の夕べ」と称して地元の「大谷中学高等学校🏫と東山泉小中学校🏫の共同開催企画」で大谷高等学校の屋上から五山送り火を見に行きます。●昔と違って、最近では近代建物🏠高層マンションなどの建設🔨🪚で、五山を見る場所も👀年々無くなってきている時に、これは有難い企画です♪♪☆╰(*´︶`*)╯♡めっちゃ嬉しい☺️学校🏫様へ感謝🥲致します。●飲み物は、お持ちいただいて結構ですが、ゴミ🗑️はお持ち帰りください。(アルコール🍷は禁止)と言うルールがあります。📃●学校なので、未成年者👦は、必ず保護者同伴👨👩での鑑賞となっております。●補足として、各文字点火の場所は、❶右大文字①左大文字❷舟形❸妙❹法❺鳥居です。イラスト🖼️掲載しておきますので、ご参加願います。●京都観光名所の1つ、嵐山でも、同日嵐山灯篭流し(あらしやまとうろうながし)が行われます🧚●五山の鳥居⛩️の送り火が見える、川面に灯籠流しが行われ、無事😇ご先祖の精霊🧚♀️を天国へとお送りする神儀礼で、荘厳かつ幻想的な雰囲気に包まれます。🙏●地元、「京都KBSテレビ📺局」では、19:00〜LIVE中継も行なわれます。他局でもニュース番組📃で、取り上げ放送されると思います。🎵📺皆さん〜テレビで送り火見ましたか?😀[大谷高等学校までの、アクセス]☀︎京都市バス🚌(202系統、207系統、208系統)最寄りは、新熊野神社⛩️前「今熊野」バス停下車🚏で、徒歩🚶♀️1分☀︎最寄りの駅は、JRと京阪電車🚃の「東福寺」駅🚉で、駅からは徒歩🚶約5分で着きます。
JR東福寺駅近辺にある「しんくまの」じゃなくて「いまくまの」神社。現在の能、狂言、歌舞伎の大元となる熊野猿楽が始まった場所。それを作ったのが写真にいる、観阿弥・世阿弥父子。足利義光がそれを今の能にしたそうで。
【京都・法住寺】●昔、承安4(1174年)年9月1日から15日間、毎夜🌃法住寺殿において行われた「今様歌合わせ」のゆかりの地で、舞人が即興で歌舞楽を演じるという古式豊かな催しが、2023年10月8日(日)15:00~ここ法住寺で行われます🤓●京都市東山七条付近にあったと言われる、時の権力者「後白河法皇」の法住寺南殿で貴族たちを集めて、歴史を飾る一大イベント「今様歌合せ」が開催されます。🤓●この「今様」とは、当世風、今風といった当時平安時代に流行ったという意味で、800余年の歳月を経て、1986年「今様合」は、法皇ゆかりの御所南殿跡といわれる現在の法住寺でよみがえりました。🤓👏●平安の雅の世界を復活させた「日本今様歌舞楽会」が主催となって、毎秋🍂(10月第2日曜日)に華麗な衣装👘を身につけ、その当時の様子が可憐に再現されています。🤓●また、「今様合」に併せ、「後白河法皇・御陵御前立御木像」を特別御開扉しております。🤓●「今様歌合わせの会」の一番の見どころ👀は、歌を作る・歌う・舞う・雅楽を演奏🪈する事、全てが即興で行われることです。😱😱●歌人は、当日に出されたお題をもとに、歌を作り、歌い手は、言葉の意味を表現するように歌います。🤓●時には、ゆったりと、時にテンポすばやく感情をこめて歌い、そして歌に合わせて、舞いと演奏が行われます。(๑・̑◡・̑๑)🤓●また、例年この会を見に来て下さった方の中から、飛び入り参加で、歌を作ってくださる方が何名か居られるそうです♪♪☆🤓●この日は、少しでも平安時代の風流な貴族絵巻が見られますので、是非お越し下さいね☆☆😀✌️[アクセス]☀︎市バス🚌206・208系統「博物館・三十三間堂前」下車、徒歩3分🚶!9月のおでかけ口コミ投稿キャンペーン!
三十三間堂の向かいにある法住寺へ。こちら保元の乱などで知られる後白河天皇の陵です。後白河天皇、すごい方なんですよ。なんですけど‥‥保元の乱の時は源義朝も平清盛も後白河天皇のもとで戦ってましたが、その後2人に亀裂が入る原因を作ったのも後白河天皇のせいじゃないかなと思うワタクシ。保元の乱で敗れた崇徳天皇は悲惨すぎるし、私、敗れてもいいから崇徳天皇の味方だな。
方広寺の鐘。世紀のいちゃもん戦争っていわれる大坂の陣の発端となった鐘です。家康さんの強引ないちゃもんって言われてますが、豊臣秀頼って家康が一目見てビビるほどのそれはそれは立派な青年に育ってたわけですから、天下取り返される!やっべ!と思って焦っていちゃもんつけたと言われるやつ。
【京都・泉涌寺七福神巡りツアー】⚫︎今年始めの、「京都を巡る会」ツアーは、京都東山区泉涌寺の七福神巡り🎋へと皆様をご案内させて頂きました。⚫︎年頭の一月の成人の日の催しのイベントなどで、多数の参拝者の方々で、賑わっておりました。⚫︎この七福神巡りは、番外2ヶ所を含めて合計9ヶ所の福を一気に授かることのできるルート巡りとなっております。⚫︎まず、はじめに1番札所である「即成院」さんで福笹🎋を頂き、あとは➡︎の順序に従って、各札所にて、縁起物の小物を笹に付けて、最終7番札所の「法音院」さんを参拝して、全行程ルートが終了します。⚫︎①即成院②戒光寺(番外❶)新善光寺③今熊野観音④来迎院(番外❷)楊貴妃観音⑤雲龍院⑥悲田院⑦法音院の9ヶ所⚫︎参詣の途中にて、あずき🫘粥の無料接待もあり、冷え込んだ体に温かさが染み渡り、有難く頂戴致しました🙏⚫︎寺院内の庭には、薄っすらと雪⛄景色が見られ、池の中の鯉も水中の中でみんな集まって冬の寒さを🥶凌いでいました。⚫︎今熊野観音へ到達すると、さまざまなお守りや特別御朱印などもあり、弘法大師の知恵を授かるために、「知恵餅」を購入し、お正月🎍のお雑煮の中に入れて頂きました。⚫︎来迎院へ行くと、弘法大師が独自の器具を使用し聖水を掘り当てたと言われる「独鈷水」の湧き水もありました。⚫︎泉山の高台にある、毘沙門天を祀る悲田院さんからは、京都の街並みが一望出来る、最高のスポットで、夏のお盆の五山送り火は、この地からもはっきり見られます♪☀︎アクセスは、京都市バス202、207、208系統で、泉涌寺道バス停🚏下車、即成院さんまで、ゆっくり徒歩で約10分です。
【京都・剣神社】⛩️⚫︎今日は、午後から地元の神社⛩️を歴訪しました。🤓⚫︎最初は、東山の音無川と今熊野川の合流点近くにある「剣神社」⛩️へ歴訪で、こちらの神社は、中世の頃、泉涌寺の守り神であったそうです。🤓⚫︎別名「剣さん」と呼ばれ親しまれている神社で、こどもの健康を守る神様として知られております。🤓⚫︎境内には撫でて御神徳をいただく御神石「撫で石」があり、神経痛や病気平癒のご利益もあり、また、阿吽形の飛び魚が描かれた珍しい「トビウオ絵馬」も必見です。🤓⚫︎現在は今熊野一帯の産土神で、とくに「子供の疳虫封じ祈願」で知られ、天明、天保の火災で詳しい創建由緒は不明だそうです。🤓 ⚫︎御朱印授与できます🤓[アクセス]☀︎市バス🚌「泉涌寺道」バス停🚏下車、徒歩8分🚶
アソビュー!
東山周辺のおすすめその他は、地主神社や三十三間堂(蓮華王院)、三年坂などです。
東山周辺のその他は、50件あります。
清水寺
京都
神社・神宮・寺院
地主神社
三十三間堂(蓮華王院)
三年坂
京都国立博物館
ミュージアム・ギャラリー
智積院
御寺泉涌寺
新日吉神宮
清水寺本堂
今熊野観音寺
泉涌寺仏殿
悲田院
今熊野観音寺(ぼけ封じ観音)
泉涌寺庭園
清水寺鐘楼
清水寺三重塔
法住寺
即成院
泉涌寺 楊貴妃観音堂