帖佐御屋地跡(島津義弘居館跡)

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鹿児島 > 伊佐・霧島

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島津義弘は文禄4年(1595)に栗野から帖佐へ移り住みます。家老の新納旅庵が工事の監督をし、館の石垣は加治木の湯湾岳から運んだといわれています。この時、館周辺の町割りも整備されました。文献によれば、「築地石垣九十九間」であったといわれます。慶長11年(1606)、義弘は平松へ移り、翌年には加治木へ移りますが、その後館には義弘の娘である御屋地様(島津朝久の妻)が住みました。

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「帖佐御屋地跡(島津義弘居館跡)」の基本情報

名称

帖佐御屋地跡(島津義弘居館跡)

カテゴリー

その他・その他

住所

鹿児島県姶良市鍋倉776・777

アクセス

(1)姶良市役所から車で10分

駐車場

電話番号

0995-66-3111

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